ユリウス・カエサルは、「人は自分の見たい現実しか見ない」と言った。
世田谷の住宅から周辺よりも高い放射線が検出された問題で、今日、その原因がなんと民家の軒下に置かれた瓶であったことがわかった。瓶は原発とは無関係で、中に入れられたラジウムが原因だった。住民には覚えがないという。
安心して良いのか悪いのか分からないが、一つ言えるのは、誰もが気軽にガイガーカウンターを持てるようになった今、今後もこのような「嫌な発見」があちこちで相次ぐ可能性は高いということ。
個人で測定出来るようになったのは良いことだが、その分、いわれのない疑いを掛けられたりする人や場所も出てくるだろう。現に、福島から群馬に避難していた女性に対し周辺住民が自治体に懸念の声を寄せ、女性の車や自宅周辺を「検査」させた、という理解に苦しむニュースもあった。(本当に「周辺住民」による懸念だったのかは疑問だが)
ところで、この世田谷の事件を聞いて以前「週刊ポスト」(7月22日号)に載っていた「50年前の放射能地図」という記事を思い出した。文科省が半世紀以上にわたって調査・作成した「環境放射線データベース」をもとに、セシウム137のフォールアウト(核実験による死の灰)の量から、当時の環境で日本人がどれくらい被爆したか試算した記事だ。結果を見ると、178回もの核実験が行われた1962年の翌年の63年、東京の放射線量は年間1.69ミリシーベルト。大阪で1.19、福岡で1.61シーベルトで、秋田ではなんと3.36ミリシーベルトというとんでもない数字が算出されている。(もっとも、これは推計値であり、土壌や生活スタイルの違いで実際の被曝量は異なる)
現在、国は「年間1ミリシーベルト以上の地域は除染対象地域にする」と言っているので、50年前の日本がどれだけ核実験その他の影響によって「汚染」されていたかが分かる。しかも記事によると、
「核実験によるフォールアウトでは、プルトニウムやストロンチウムなど、現代の煽り派が「これが出たらお終いだ」と恐れる放射性物も普通に世界中にばらまかれた。日本人を含め、世界中の人々が毎日それを吸い込み、食材に取り込まれたものを食べていた」
というから滑稽な話だ。そしてこうも言う。
「マップから明らかなことは、70年代までに生まれた日本人のほぼ全員が、これまでの人生で現在の福島県民以上の被爆をしながら生きてきた」
この記事を信じるか信じないかは個人の自由である。冒頭にも書いたとおり、人間は見たい現実しか見ないので、自分の信じたいものを信じればいいと思う。
僕?僕は信じる。でなきゃ呑気に園芸なんてやってられない。僕は赤玉土も腐葉土も培養土も、市販されているものは基本的に安全だと思っている。もちろん、根拠なんてない。僕が安全だと思う(または思いたい)から安全なのである。そうでもして割り切らないと、何も出来やしないではないか。
横浜の小学校では、毎日一校ずつ給食に使用される食材全てを検査するそうだ。「なんでお前らが?」と僕などはつい思ってしまうのだが、汚染を疑う人々の懐疑心を晴らす「答え」を持った人間などどこにもいない。白い花は誰が見ても白い花だが、この問題は目で見てわかるものではないし、中には「いや、私には黒い花にしか見えない」と言う人もいる。そういう人を説得するのはほとんど不可能である。
だからこそカエサルは殺されたのである。
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