墓参の風景

再び沼津へ出張。でもここは沼津ではない。富士宮市のドラッグストア。

ドラッグストアなのに、花苗が売っていた。

ポーチュラカとニチニチソウしかなかったけど60円は安いよね。

よっぽど買おうと思ったけど、このあと仕事を控えていたのでパスした。

父の眠る「富士桜自然墓地公園」が近くにある。
どうせ沼津まで行くんだったら、と、少し足を伸ばして富士宮まで来た。奥さんと一緒に墓参するためだ。
前にも書いたが、「富士桜自然墓地公園」というのは創価学会の墓地である。僕は学会員ではない。父は「なんちゃって」学会員だった。祖父母が熱心な学会員で、それで生前の父の意向もありここに納骨した。
入院当日、病院まで車で送って欲しいと言われて迎えに行った僕に、父はこの墓地公園の手帳を見せて「何かあったらここに入れてくれな」と言った。僕は「縁起でもねえこと言うなよ」と呆れた。
しかしそのお陰で父の死後、遺骨を預かったまま途方に暮れずに済んだのも事実である。

学会の墓地では線香も仏花も供え物も一切厳禁。
仏に捧げられるものは「(お)しきみ」という榊に似た樹木の枝葉のみ。それを備え付けのプラスティックの花立に挿す。墓石も膝の高さしかない、西洋風の石版みたいなものなので、絵的には非常に寂しい。
そんな墓が、きれいに刈りそろえられた芝生の上に整然と並んでいる。数え切れないほど。この光景は日本人には全く馴染みのないものだ。墓地は墓地でもアーリントン墓地に近い。
墓石に大きく苗字が彫ってあるが、それ以外に目印が無いので最初は自分の家の墓を見つけるのに苦労した。
飲食物のお供え禁止は捨てる手間やカラス被害を考えてのことだろうから理解できるが、せめて花くらい飾らせて欲しいものだ。
実は墓参用の仏花を買うのさえ楽しいと感じてしまうハナキチの僕である。
つい「他のお墓より1ランク上の寄せ植え仏花」を目指してしまう。出来ることならお墓の傍にクリスマスローズの一つでも植栽させて欲しいくらいなのだ。
だから創価学会のお墓は僕の中では論外である。殺伐としすぎている。
しきみを挿して水をかけて手を合わせて終わりだなんて。これだとお墓と向かい合う以外にやることがないので自然と墓参の時間が短くなる。それはそれで合理的で現代的とも思う反面、やっぱりちょっと寂しいのだ。
奥さんの父(僕の父が死んだ翌月に亡くなった)の場合は普通のお寺さんのお墓だからそんなお堅い制約は無い。
うちの奥さんは3人姉妹の真ん中である。姉妹が全員揃って墓参するとそれぞれのパートナー、甥・姪も来るのでかなりの人数になる。
義母がぷっくりした指で線香の袋をガサガサ言わせながら開き、皆で線香の束を分けあい、手間取りながら火をつけ、花を挿す段になれば向きがどうの色がどうのと女たちでちょっとした議論になり、すでに飽き始めた子供らが虫を見つけて騒ぎ出したり自由研究の面倒臭さを愚痴ったりしはじめる。なぜか「子供グループ」に数えられている僕は彼らのそんな暇つぶしのグチを聞く役になる。
故人は置いてけぼりになる。
だがそれでいいのだ。
そういう光景を故人は見たいのである。
見ているのである。
石の奥で。
「お供え」という行為の意味は、ただ故人の好んだ供物を捧げ霊を慰めることにあるのではない。
相変わらずグズグズした、ドタバタした要領の悪い家族の変わらぬ素顔を故人に見せることにあるのだ。そこに情緒があり、愛がにじむ。時間を共有できる。
これが線香も立てられない、「おしきみ」だけでは間延びして素顔を見せることも出来やしない。
そんなことを考えながら墓前に手を合わせて立ち上がる。
いつも奥さんのほうが少し長く手を合わせている。彼女が顔を上げて言った。
「性格を直して下さいって頼んどいた☆」
「・・・・・・・」
父の苦笑が見えた。

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2015.08.19 | | 未分類(日常、随筆)

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