人とペットの境界線

うちの近所は夕方4時以降、ペットボトルやリールを手に歩くご婦人がたで賑わう。近所の公園が絶好のお散歩スポットなので、近隣のわんこたちが集まってくるのだ。連れている犬はシーズー、トイプードル、ミニチュアダックスフンド、コーギーなどの小型犬が中心で、中には2匹も3匹も小型犬を連れて歩いている人もいる。
ペットといえばかつては子供が駄々をこねて買ってもらうもの、というイメージだったが、現代では成人した娘が両親にプレゼントしたり、熟年夫婦が子供の代わりに愛情を注ぎ込む代用品として用いたりするようになっている。
そんなペットブームに押されて、高速道路のサービスエリアには「ドッグラン」(犬を遊ばせるスペース)なんてものまで設けられ、ちょっと気の利いたホームセンターではペットも乗せられるショッピングカートがあったり、「ペット宿泊OK」のホテルも増えた。犬猫と一緒に一服できる「ドッグカフェ」「キャットカフェ」なるものもチラホラ見かける。
僕が子供の頃はそんなものはなかった。
自分の周りでは圧倒的に家犬より外犬の方が多かったし、そもそも犬と一緒に買い物したい、宿に泊まりたいと思うオトナ自体が少なかった。
ペットが子供たちのものだった時代には何の配慮もされなかったのに、20年経っってオトナたちがイヌを欲しがるようになったら途端に社会全体がペットを「家族」として認めるようになった。
オトナが幼稚化し、幼稚化したオトナのニーズに社会が合わせる。
大体、いい年をしてイヌと一緒じゃなきゃどこにも行けない、などという人は、大抵、価値観が「犬化」している。宿にしろ店にしろサービスエリアにしろペットの○○ちゃんを中心に物を考えるので、「○○ちゃんが満足できるか出来ないか」で良し悪しが決まる。
そういうペット依存症のオトナが増えれば、店側がペットにも人と同じようなサービスを提供しようとするのは当然だ。ペットへの配慮=飼い主への配慮であり、そうしたほうがリピーターを生み、「イヌトモ」同士の間でクチコミも広がり、利益に繋がるからである。
理由はどうあれ、ペットの地位はここ数年で明らかに向上した。イヌにも飼い主にも嬉しい時代の到来だ。
しかし僕はこの「ペット礼賛時代」には異議あり、である。
犬は大好きだ。小3から家を出るまで実家でシェパード(のような)犬を飼っていた。その犬との思い出は色あせない。猫も好きだ。牛も好きだし馬も好きだ。もっと言えば爬虫類も好きだ。7年ほど前、シンクの中から出られなくなっていたニホンヤモリの赤ちゃんを保護して数年間一緒に暮らした。お陰でヤモリのごとき小動物でも人間の言葉を解するということを発見したし、感情があることも知った。動物は人間に多くの感動と安らぎを与えてくれる。
でも、だからといって人間とペットは平等などというお花畑的な思想には全く賛成できない。
動物は動物である。畜生である。
いくら家族と言ってみたって、所詮は人間様の所有物であり、人間様のエゴを満たす愛玩具に過ぎない。平等になど絶対になりえない。だから、ペットは人間が責任を持って管理をしなければいけない。
しかしそれを理解していない大人がたっっっ・・・っくさんいる。

少し前、ある会社へ仕事の話をしに行ったときのことだ。
事務員さんに促されてオフィスの中に入ると、OLさんたちの使うパソコンデスクの上をウロチョロするトイプードルの姿が目に飛び込んできた。そこにはマグカップも置いてあるし、書類の束も置いてある。一匹だけかと思ったらするすると僕の膝をマルチーズが通り過ぎてゆく。口にポシェットのようなものをくわえている。
「待ちなさい、ほらー」
といって犬を追いかけるように出てきたのがその会社の重役で、僕が会う約束をしていた人である。
どうやらその2匹の小型犬はその重役が自宅から連れてきているらしく、応接間に通されて仕事の話をしているあいだも、ずっとそばにいた。キャンキャン吠え、抱っこをせがみ、腕からすり抜けてテーブルの上に乗り、僕が作って持ってきた書類を踏んづけて歩く。飼い主である重役は「こらー」と生ぬるく声を出すだけ。で、思い出したように、「あ。イヌ、大丈夫ですか?」
犬は好きである。しかし大丈夫とか苦手とかの問題ではない。
たとえ実際に苦手であっても顧客に向かって「そのクソ犬をどうにかしろ」なんて言える訳がない。言いにくいのは事務員さんたちとて同じだろう。上司の可愛がっている犬がポシェットをヨダレでベトベトにしようとマグカップに毛玉が浮いていようと笑うしかない。
多分、本人は「この方が賑やかでいいでしょう?」くらいにしか考えていない。他意も悪意もないのだ。その証拠に、人柄はとてもイイ人で、犬さえいなかったらもっと話も弾んだろうと思えた。
このような「アナーキーな大らかさ」は犬だけに限った話ではない。
仕事で色んなお宅にお邪魔する。もちろん絶賛子育て中!というお宅もたくさんある。しかしこれまでの経験上、そういうお宅で親が子供を叱りつける光景に出会ったことがない。
仕事の話をしている横でプロレスごっこ、ケンカ、走り回る、泣く、歩きながらラーメンを食べる、ソファの上から飛び降りる・・・・何でもありだが、大抵のママさんは「ほーらー」とか「うるさいよー」で終わりだ。
自分だったらこうするな、ああするな、といつも思いながら見ている。
上に書いた会社の女性と同じで、これらのママさんパパさんたちも、「この方が賑やかでいいでしょう?」という他意のない大らかさで子育てをしているように思う。よく言えば伸び伸び子育て。悪く言えば放任。

世の親たちが子供をどう育てようと彼らの勝手だ。
しかしもし他人もその「アナーキーな大らかさ」を受け入れてくれるものと思い込んでいるとしたら大間違いだ、と言いたい。
世の中には動物が嫌いな人、子供が苦手な人もいるのだ。

話をイヌに戻そう。
子供の頃飼っていたシェパード(紀州犬の血も入っている)は暴れん坊だった。
3歳にもなると僕より力が強くなり、腕が抜けそうになるので何度もリールを手から離してしまった。
うちはイヌの躾は厳しかった。
何か悪さをしたら殴る、蹴っ飛ばす、吹っ飛ばす。リールでムチ打つ。
お陰で粗相もしなくなったし我慢も出来る子になった。
友人の半数近くが番犬を飼っていたが、どの家も犬にはそんな感じでシツケをしていた。悪さをしたら頭を叩いたり蹴っ飛ばすのが当たり前だった。
今は犬や猫の生態研究が進み、痛みや恐怖による躾けが見直されている。ペットカウンセラーなんて職業があるくらいだ。
それで賢い犬ばかりになればいいが、少なくともうちの近所の家犬(ミニチュアダックスフンド)には恐怖による躾が必要だ。
毎日、同じ時間に来る同じ郵便屋さんに吠え続けている。飼い主は怒らない。せいぜい「吠えないよ~」とか言うだけ。
普通、毎日来ている人間なら無害だと気付いて威嚇しなくなるはずだが、脳みそが小さいのだろう、10分くらいキャンキャン吠える。毎日。
犬に腹は立たない。飼い主にひとこと言いたくなる。

どう育てようと金を出して犬を買ったアンタの勝手だ。
だがシツケもせずにアナーキーな馬鹿犬に育てて、近所の人や来訪者に迷惑をかけてもよい自由まではアンタにはない。

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2015.04.23 | | 時事問題

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