薄汚い「表現」

昨日未明、福島出張から帰ってきた。お付き合いさせて頂いている業者の方から福島の現状を色々聞いた。若い人たちがアルバイト感覚で除染作業に参加していること、かなりいい「小遣い稼ぎ」になること、それによって他の業種では深刻な人手不足が起こっていること、除染作業といってもヌルイもので、実は友達同士でお喋りしながら掃き掃除しているだけで給料がもらえたりすること、復興事業には県外から反社会勢力がけっこう多く参加していること、県はそれを見て見ぬ振りしていることなどなど、メディアではまず取り上げられない「生の声」に驚き、また呆れた。
いま中国生まれでオーストラリア在住の左翼漫画家が、あたかも福島第一原発に行くと鼻血が出る、瓦礫を受け入れると周辺住民に「異変」が生じる、と読者に信じさせるような描写を自身の漫画に挿入したとかで問題になっている。
僕からしたらそんな子供じみた嘘を撒き散らすより、他にルポルタージュするべき事柄が福島にはあると思うが、センセーショナルな「ホラ」で大衆の耳目をさらい、不安をあおり、火のないところに煙を起こすのが左翼の常套手段である。(この漫画家は自民党嫌いで有名である)
橋下市長が気に入らないから部落だ卑しい出身だと騒ぎ立てた「週刊朝日」といい、左翼というのはどうしてこう善悪の判断が出来ないのかとつくづく思う。
しかしそんな阿呆を擁護する人もいるからさらに驚きだ。
擁護する人はかの描写を「表現の自由」という。作者は神様だから周りがどうのこうのいう問題じゃないんだと。
芸術を分からない人間に限ってすぐそういう知ったようなことを言う。いや、芸術以前に法律を理解していない。先進国のうち、表現の自由が無制限に許される国などどこにもない。
純粋に作者が神でありえる場合は作品を未公開(自己満足)に留めている場合だけである。公開した瞬間にそれは「作品」として神の手から離れ、鑑賞者が価値を決める「商品」になる。見せるつもりはなかったのに外に出てしまった場合を除いて、その瞬間から作者には自分が生み出したものへの<責任>が生じる。
「プライバシーの侵害」という言葉を流行させた「『宴のあと』事件」しかり、柳美里の「『石を泳ぐ魚』事件」しかり、「たとえアートだろうと本人や他者に害悪をもたらすような表現は慎むべき」というのが判例であり基準である。少なくとも人に見せるのならそのくらいは考えてやれよ、ということだ。
では一体どこからが他人への害悪になるのか?という問題だが、そんなことも分からない人や編集者は何も表現などせぬほうがいい。と僕は思う。
明らかに他人の権利を侵害すると分かりきっていることを書いたり、証拠もなく類推だけで特定の店や場所を貶めればどうなるか子供でも想像がつく。
作者への集中砲火を見て「最近はクレイマーばっかりだ」と嘆く向きがあるが、それも全く見当外れである。そういう「やれやれ」的なポーズを取ってクールぶりたい気持ちは分からないでもないが、これを容認することは差別を容認するのと同じである。
「目的達成には誰かの権利もないがしろにしていい」という左翼の薄汚いやり方を見ているほうがよっぽど鼻血が出そうだ。

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2014.05.13 | | 時事問題

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