音楽のききかた

今日は久しぶりに(というかほとんど初めて)音楽の話。
このあいだ、洋楽情報サイトの
BARKSを斜め読みしていたらこんな記事が目にとまった。見出しは「デフ・レパード もうフルアルバムは作らない?」というもので、ギタリストのヴィヴィアン・キャンベルのコメントが載っていた。曰く、
「2012年、アルバムを出す。フルアルバムになるかどうかわからない。ゴールポストの位置がずれたいま、フルアルバムを出す意義が見いだせない。みんな、フル・アルバムになんか興味ないだろ?」「昔はレコード会社は10~12曲欲しがっていた。いまはみんなフルアルバムなんか聴く時間なんて無い。だから、俺はクオリティの高いものを出したいんだ」

IPODの登場によってもはや音楽は「ばら売り」が当たり前になり、フルアルバムという言葉自体「死語」になりつつあるなか、果たしてアルバムを製作する意義があるのか?という疑問はデフレパならずともアーティストなら誰しも抱いていることだろう。
かつて
U2のボノとエッジが「ばら売り」によってアルバムの存在価値(コンセプトなど)が消えることを懸念し、アップルの戦略に難色を示していたことがあったが、結局スティーヴ・ジョブズが二人を説得することに成功し、これによって一気に他のアーティストたちの「ばら売り」に対する警戒心が溶けた、という経緯がある。それから十年近く経ち、今や「ばら売り」を批判するアーティストは少数派になった。
と言って別に、世の中からフルアルバムが消えたわけでも消えるわけでもないのだが、デジタル革命によってフルアルバムというものが一気に「古臭い物」になってしまったのは事実だ。「フルアルバムになんて誰も興味ないだろ」というヴィヴィアン・キャンベルの言葉にはそんな状況への不満と諦めが感じられる。

しかしもともと僕はアルバムを通して聴くということをあまりしない人間なので、「ばら売り」にはそれほど違和感はない。むしろ大半が「捨て曲」のフルアルバムをつかまされる危険性がなくなったことは、受け手にとっても送り手側にとってもいいことだとさえ思っている。受け手は金をドブに捨てることも少なくなり、送り手側はいやが応にも曲の完成度を高くせざるを得なくなるからだ。

U2は「ばら売り」になることでコンセプト・アルバムが作れなくなることを危惧していたらしいが、リスナーにとっては正直、コンセプトなどあまり重要ではない。いい曲があるかないかが重要なのである。つまり、商品として二千円出す価値があるか。そのコンセプトがたとえ時代を的確に捉えたものだとしても、一曲一曲の完成度が高くなければただの自己満足になってしまう。昔は1、2曲いい曲があればどんな陳腐なコンセプトアルバムでも「ま、いいか」で許されただろうが、今ではそうはいかない。
IPODの登場によって音楽はビュッフェ形式に変わった。つまり、食べたいものだけを皿に盛って行くという形である。ヘヴィメタばかり食べたい人はヘヴィメタばかりを盛ればいいし、それだと油っこすぎるからサラダ代わりに女性アーティストも添えたいと思えばそうすればいい。レコード会社が上から押しつける「メニュー」を黙って食べる時代は終わったのである。
リスナーに選択の自由が与えられ、我々はただの<リスナー>から、よりどん欲で、より商品に対して厳格な<消費者>になった。同時にアーティスト側はどれだけ自分の陳列棚に美味しそうな「メニュー」を揃えられるかが問われるようになった。どんなに綺麗な皿に盛りつけてあっても、<消費者>の厳しい目はもうごまかせない。1、2品しか美味しいものがなければ確実に売れ残るだろう。

 

ハードロック界で、いち早くそんな<消費者>の心をつかんで成功したのが元ガンズ・アンド・ローゼズ、現ヴェルヴェッド・リボルヴァーのスラッシュだ。
彼が去年発表したソロアルバム「SLASH」
は、デジタル時代の音楽ビジネスを象徴したような実験的なアルバムだった。曲ごとに歌手が違うのである。よくゲストミュージシャンが参加してボーカルをとったりするが、このアルバムは全曲がゲストミュージシャンで構成されている、いわゆるオールスター・アルバム。
まず、スラッシュがリフを書き、おおまかな曲の展開などを作る。そして「これはこいつに歌わせたい」と思うアーティストに添付ファイルで音源を送る。受け取った歌手はそのスラッシュの「下書き」に独自にメロディと歌詞を乗せ、スラッシュに送り返す。それを繰り返し、曲に仕上げていく。もちろん、メロディも歌詞も歌い手に任せてしまうのだから、スラッシュが当初想定していたものとは似ても似つかない曲になって送り返されてくることもあったようだ。しかし逆にこれが電子メールという、デジタル的なやりとりであるにもかかわらず、スタジオでジャムるのと同じか、それ以上の効果を生んだようで、その効果が、曲ごとのバリエーションとなって活きている。

<消費者>のほうも、もともと「ばら売り」のものを一つのアルバムにしたようなものだから、サウンドガーデンのファンだがガンズは嫌い、という場合、クリスコーネルの歌う4曲目「プロミス」だけを購入すればいいし、同じくマルーン5のファンならアダム・レヴィーンの歌う6曲目の「ゴッテン」だけを購入すればいい。日本からはBzの稲葉浩志が参加しているので、Bzファンは彼の歌う「サハラ」を買えばいい。「歌えない」という、ギタリストの弱点を逆手に取った、そしてデジタル音楽時代の消費者ニーズを完璧に理解した、非常に合理的なアルバムである。

 

しかしここで危惧されるのが、音楽の芸術的側面の衰退である。音楽業界が<消費者ニーズ>を重視しすぎると、自然、<安直なポップソングの量産>というお決まりの手法に訴えることになる。僕は個人的には80年代の「安直なポップソング」が大好きだが(TOTOとかスターシップとかね!)、2010年代ではその役目はいまのところ、LADY-GAGAが担っている。たとえば、「バッドロマンス」も「ジューダス」も同じメロディ、「ボーン・ディスウェイ」にいたってはマドンナの「エクスプレス・ユアセルフ」の完璧なパクリというような、かつて80年代によくあったパターンをLADY-GAGAに見ることが出来る。いうなれば彼女は80年代にシーンを席巻した、いわゆる「産業ロック/ポップ」の正統的後継者なのである。

話が飛躍したが、とにかくこれからは音楽をどれだけ「商品」と割り切れるかが成功するかしないかの分かれ目になるような気がする。




guns_ba
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2011.06.27 | | 音楽

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