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Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。

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庭があって良かった。
うちの事務所も土曜日から連休に入った。
自粛下でもホームセンターは営業してくれているので野菜の苗と種を買って来て、庭に出た。
今年もトマト、なす、きゅうり、オクラ、枝豆、サトイモ、バジルなどを育てる。
とりあえずオクラと枝豆の種を撒いた。


一足先に植えていたジャガイモはすくすく育っている。

ところで、外になかなか出られないため、今年は家庭菜園を始める人が増える見込みと聞いた。
それもこれも、庭があればこそ、である。
マンションにはマンションの利点もある。庭のない家には代わりに収納が広いとかリビングが20畳あるとかカーポートがあるとか、3階建てだとか、他に自慢できる面があろう。
我が家は古い。カーポートもない。ウォークイン・クローゼットなんて見たこともない。
だが広い庭がある。
庭は自慢である。
土がある。
虫がいる。
新緑の葉がある。
木陰がある。
風が吹く。
火を起こせる。肉を焼く。畑のレタスをもぎってサンチュ代わりに焼いた肉に巻いて食える。
河原や公園に行く必要がない。
花をたくさん植えたので花が咲いている。
近所のバラ公園では毎年バラ祭りが開催されるが恐らく今年は中止だろう。
だが庭にバラが咲くからウッドデッキに座ってコーヒーを飲みながらバラも見られる。
数年かけてバラをたくさん植えたからである。
それなりに苦労した。
管理は大変である。

何が言いたいのかというと、前々から言っていることだが、これを機に日本人はもう一度庭のある家に戻ったらどうかと思う。
日本人は庭を捨てた。庭のある生活を捨てた。
昭和~平成初期の時代は「庭付き一戸建て」がサラリーマンの夢であり、ステータスシンボルだった。庭があることを「無駄」と誰も思わなかった。
自分の親は90年代前半に念願のマイホームを買った。典型的な建売住宅で、色違いで同じ形をした家が他に4棟並んでいた。全てにまあまあ広い庭とカーポートが付いていた。
今では「ビルトイン食洗器、ウォークイン・クローゼット、断熱材、太陽光パネル、3階建て」がステータスである。
太陽光パネル以外、全部家の中の設備である。
家の外のことなど眼中にない。
つまり庭や外構にこだわる人が少なくなっているということである。
特に庭に関しては、あってもなくてもどっちでもいいという感じではなかろか。
しかしこうしてステイホームを余儀なくされ、外出もままならない、公園にも行きにくいとなったとき、あってよかったと思うのはウォークイン・クローゼットではない。食洗器でもない。
空と、太陽の光と、風と、土の温度と、緑と、無数の小さな生き物たちである。
つまり<自然>だ。
自分だけの自然。
庭を持つと、<自然>を所有することが出来るのである。

散歩もいいだろう、公園でキャッチボールもいい。
しかし他人の目も距離感も気にせず、健康的かつ教育的に鬱々とした気分を和らげ、家族の時間を過ごせるのは庭である。
そんなこと言ったって庭のある家自体が売ってないのは百も承知である。
しかしそういう状況にしたのは我々今を生きる消費者である。
自分たちがそれでよしとしてしまったからこうなった。
それを喜んで買うようになったからこうなったのである。
かつては都市部だろうと田舎だろうと新築の家には小さいながらも庭がついていた。
今より人口が多く、しかもこれからどんどん増えるぞといわれていた時代で、である。
超高齢化社会、空き家増加、子供減少、人口減少の一途を辿るこれからの時代で、庭付き一戸建てが増やせない訳がないのに、どういうわけか一戸の古い庭付き住宅をつぶして、三戸のギチギチハウスを建てる、そんな商法をまかり通らせてしまった。
そうやって数を売って利益を得るハウスメーカーのやり方を許しているのは他でもない我々現役世代である。
そしてこの商法を止められるのも、我々である。
我々が自分の親たちのように庭を欲しがれば、日本人はまた花と緑に囲まれた生活を取り戻せると自分は信じている。

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