日本人の季節感

梅だけ見ていると春が来たようだ。

人が春を感じる瞬間は千差万別なれど、やはり「花をみたとき」というのが圧倒的に多いのではあるまいか。
冬にも花はたくさんある。露地植えに出来るものは少ないが花屋に行けば花はたくさん咲いている。
しかしそんな人工的な花で人は「春」を感じない。
自然に咲いた花しか持ち得ない情緒というのがあって、それを見たときはじめて我々日本人は春を感じることが出来る。
具体的には「桜を見たとき」と言ってもいいだろう。
当然ながら桜は背が高い。頭の上で咲く。
だから僕たちは見上げることで、春の到来を実感する。
クリスマスローズや福寿草が芽吹いたり咲いたりしたときも春を感じはするが、やはり梅や桜が与えるインパクトとは質が違う。

しかしこれはあくまで日本の話であって、地域によって春の訪れ方は違う。
作家の安倍公房がかつて面白いことを言っていた。
満州で生まれ育った彼は日本の「春」を知らなかった。本土から送られてくる教科書には窓の外に山と小川の流れる日本の原風景が載っているが満州は冬は零下20度になる砂漠だ。
安部は言う。
「なんと言っても印象に残るのは春の到来さ。春というのは徐々に来るんじゃなくて、ある日突然来る。(中略)凍った地面の割れ目に、ちらと緑がのぞく。それが合図なんだよね。いつまでもしゃがみ込んで、じっと眺め入っていたものさ」(エッセイ「死に急ぐ鯨たち」より)
日本人が春を見上げながら待つとすれば、安部の故郷満州のように地面をじっと見つめて待つ春もある。
それゆえ安部は日本人は季節に鈍感だと指摘する。
「日本人はよく自慢話をするね、四季のうつろいに敏感な民族だとか言って。どうかしているよ。季節に情感を感じない民族が何処かにいるだろうか。(中略)むしろ日本人は季節に鈍感だと思うよ。でも農耕作業をつつがなく運営する為には、あいまいな季節にけじめをつける必要がある。だからやたらに季節を論ずるのさ。日本人が自慢できるのは季節論であって、季節感じゃないよ」
確かに、日本人というか特に関東のような比較的穏やかな気候の場所に住んでいる自分からすると、、自分も含めて関東人は回転寿司の皿でも待つような呑気さで季節の変化を待っている気がする。
反面、雪が多く降る地域の人たちにとって春とは勝ち取るものである。
雪が解けるまで生きていることがまず重要だし、家が雪で潰れないよう雪かきも怠れない。寝ていれば勝手に春が来る、というわけではない。
雪国の人と関東のように穏やかな土地に住む人とでは季節の変化に対する意識は天と地ほど差があるだろう。
冬の重さが違う分、春に対する憧憬もまた大きい。

仕事で首都圏中の都市を歩く。
今日は千葉と船橋にいた。
明日はバレンタインだそうで、どこのエキナカでもデパートでも道路でも即席の出店が出て、乙女チックな人だかりが出来ていた。
こういう光景を見るのは嫌いではない。活気があって結構だ。世の中にはこんなに女がいるのに俺にチョコくれるヤツは(奥さんも含めて)一人もいないのかという悲哀は横に置いておいて、賑やかでいい。
しかし安部の言う「農耕作業をつつがなく運営する為には」の「農耕作業」を現代風に「経済活動」(もしくは消費活動)に言い換えると、なるほど、安部の言わんとする日本人の季節感のなんたるかが見えてくる気もする。
現代において季節の変化などというものは、しょせん消費と結びついたリボン程度のものに過ぎなくなっているのではないか。
と、チョコを買い求める女子たちの背中を眺めながら思ったりした。
でもま、これも季節の変化のひとつのシーン、風物詩なのだとすれば、それはそれで微笑ましい。
こんな日本の2月も、僕はまあまあ好きである。

 
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2017.02.13 | | 園芸コラム

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祐平

Author:祐平
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
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