雑貨的人間

昨日作った多肉の寄せ植えを飾ってみた。

長押に掛けるように植物を飾れるのでラクチン&かわいい。

日光が届かないので、定期的に窓辺に置いてあげたほうがいいかな。

多肉ってそこまでする必要ないのかな。
まあ、様子を見ながら。


今後、植物含めもっと色々飾る予定。
雑貨屋さんにも行っていろいろアクの強いああいうのとかこういうのとか買って来ちゃったりも出来るんだなー☆v(T▽T)イエーイ
置く場所がなくても、財布に136円くらいしか入ってなくても雑貨屋と見るとふらふら吸い込まれるような人間だから、消費の暴走キングコングにならないように自制しなきゃならぬ。

そもそも「雑貨」などというのは本来生活に必要のないものである。
フィギュアであれぬいぐるみであれポスターであれガラスの小瓶であれ、それがなくては生活できない、という類のものではない。だから「雑貨」という。
しかしその一見「ムダ」に思えるものに惹かれるのは、そこに<自分>を見出すからにほかならない。自分にフィットする何かを感じるからである。
だから「自分」の強い人、「いろんな自分」がいる人ほど、雑貨愛も強くなる。
自分で言うのもなんだが僕などはその典型例だと思う。
大体、人間として「雑貨」みたいなのである。いても役に立たない。いてもいなくてもどっちでもいい。そのくせ自己顕示欲と自己愛だけは人並み以上。そういう人間はどこかで社会に対して生きにくさ、窮屈さを感じるようになる。どのケースにも収まらない、どの売り場に置いてもふさわしくない。
そしていつしか「名付しがたき物たち」にシンパシーを感じるようになる。
僕がアメリカ的なものに手が伸びてしまうのは多分、あの広漠とした大地に「自由」を見るからだろう。この国の歴史と風土は誇りに思っているが、どこか生まれる場所を間違えたような違和感をずっと抱いている。
なんて、カフェテリアで鬱々とコーヒー飲んでる大学1年生みたいな青い自己分析だが、実際、雑貨へのシンパシーは「疎外感」が源になっていると僕は思う。

奥さんが植えた福寿草が咲きかけ☆


二階のベランダから見た梅。

二分咲き~三分咲きってところ。
もう2月かー。
なんか今年の冬は長く感じる。。。
今週も長く感じるケド。。。(-_-;) アソビタイッス!

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2017.02.01 | | 観葉植物・インテリア

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