「理想」を思い出す。
正月休みもこの連休も、ほぼ事務所の改造に費やした。
奥さんの「シンキングタイム」がいつになく多く、最初はどうなることかと思われたこの作業も、どうにかこうにかゴールが見えてきた。いまはダンジョンの最上階にたどり着いた感じ。
昨夜、夜中までかかって押入れの下段のリメイクを終わらせた。
ダボ穴の開いた板を組み合わせて巨大な棚を作り、
押入れの下段にぶっ込む。
「本当に収まるの?」
「私の計算では入る。はず」
フローリングを傷つけないため、また滑らせるために下にカーペットを敷いてやるのだが、それでも重い。なんとか押入れには収まったが、最後までカッチリしまいこむのがこれまた大変で、二人して床に体操座りの格好になって、「せーの」で足の裏で押すという荒療治。
これぞ本当の「押入れ」。
ペンキは見えるところまでしか塗ってない。「おぼっちゃま君」に出てくる「びんぼっちゃま君」。
ダボ穴にダボを差し込んだら、好みの高さで棚板を置いて・・・
とりあえずよく使うレターパックなどを入れていった。
ひとつの口が幅32.5、高さ64、奥行き90センチ。
「事務仕事で頻繁に使う封筒やファイル、コピー用紙などがゆったり収納できるようにした」と奥さんがドヤ顔で言うだけあって、収納力は高い。
自分で作るからには、自分にとってベストな物にしないとね。
こういう途方もない作業をしていると、ふと、何でこんな苦労しなきゃならんのかと思うことがなくもない。
正直、疲れるし、時間を費やすし、休日返上だし、借家だから100%思い通りに出来るわけじゃないから出来ることには限度がある。やったところで所詮は素人芸、ビックリするような劇的な変化は不可能である。
でもひとつひとつこなして、形になってゆくのを見ると、もう引き返そう、やめようなんて思えなくなる。ある一定のポイントを通過すると、それまでクタクタだったのに元気がみなぎって、「やれるところまでやっちゃおう」という気になる。補助パワーのようなものが起動する。
そして疲労の中に埋もれて見えなくなっていた、「大事なこと」を思い出す。
理想。
自分は理想を持っていたんだ、と思い出す。
理想を実現する為にこれをやっているのだと。
DIYの原動力はそれだ。
夢、理想、憧れ。
理想のオフィス、理想の庭、理想のキッチン、理想の収納、理想の暮らし ―・・・。
誰もが生活の中に何かしらの「理想」を持っている。
だが日々の雑務や義務に負われて、目の前のハードルを飛び越えてゆくのに精一杯の暮らしの中で、「理想」はいつしか未来の目標ではなく、フォトフレームの中の思い出に変わりがちである。
理想を追い続けるのはなかなか骨の折れることである。
理想を忘れずにいることでさえ、簡単ではない。
僕は奥さんが事務所の改造をしようと言い出したとき、「うわまた面倒臭いこと言い出したな」と、ほんのちょっぴりだけ思った。3割くらい思った。いや5割くらい。
まだ終わっていないが、今はやってよかったと思っている。
自分はただの実働部隊なので何のアイデアもイメージも持たずに力仕事だけやっているが、忘れていた理想を思い出せた。
「俺だったらこういう事務所にしたい」というのがかつてはあった。
でも日々の雑務と制約の壁の前にいつしか投げてしまっていた。(理想の庭についてはしょっちゅう考えるんだけどね)
まだまだ作業は続くけど、出来る範囲でベストを尽くそうと思う。
昨日(土曜日)、気分転換に庭に出たら庭の梅にツボミがついていた。
たったこれだけのことで、ワクワクした。
自分の家に春が来るのを約束されたような、そんな気がした。
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