変化を楽しむということ。

秋が深まり、なんとなく庭に明るさが戻った気がする。

冬前の束の間のアンコールという感じで返り咲く花もあれば、夏前から咲きっぱなしの花もあったり、僕が新たに植えた花もある。

春夏の花にとっても秋冬の花にとっても、今が一番、心地よい温度と湿度なのかもしれない。(今日はさすがに寒すぎだけど)

家の中で庭ほど変化に富んだ場所はない。
この家に越してくる前は「いかにして花で家を面白く見せるか」「いかにして見る人を圧倒させるか」のほうに神経を使って、花の365日にあまり関心がなかった。というか一年草が中心だったので咲かなくなったらそれまでだと割り切っていた。
今でも僕は「一年草は家を飾る道具。使い捨てでいい」と思っているが、ガーデニングを始めた頃はそれがもっと露骨で、「緑の葉があっても花が咲いていなければ意味がない」くらいに思っていた。
しかしこの家に来て、少し丸くなった。・・・少し。
花たちの表情の変化にも面白みを感じるようになってきた。
特に通路は一番花の種類も多く変化にも富んでいるせいか、イヤでも気付く。
先週まで咲いてたのがもう種をつけているとか、刈り込んだら脇芽が出てきたとか、付近にこぼれ種の子孫がたくさん出ているとか、花が終わって地上部が枯れ果てていたり・・・。
こういう楽しみ方は通常、宿根草や多年草を中心としたナチュラルガーデンにおいてされるものだが、一年草にだって変化はある。
マリーゴールドなんか真夏には直射日光で葉っぱの色素まで抜けるほどカラッカラになっていたと思ったら、10月に入ると「同じ株か」と思うほど力強い葉を全身にみなぎらせて黄金の花をいくつもいくつも輝やかせる。
どの店でもゴミ扱いのブルーサルビアは花が散って白い花穂だけになっている部分と、まだ青い花が残っている部分が風に揺れて混ざり合う姿がとてもキレイだ。
ストックは摘心して置くと知らないうちにわき目から芽が出て花を咲かせていたりする。
・・・とまあ、1年草は1年草なりに、数ヶ月のあいだに色んな顔を見せてくれるので飽きない。

そんな風に思えるようになったのも、この通路のお陰だ。
こういう、両サイドに植栽できる土の部分があり、しかもけっこうな長さの上り坂になっているというヘンテコな環境を与えられたことで、「見せる園芸」と「個人的に楽しむ園芸」の両方を満たすことが出来るようになったからだ。
この場所を一丁前にするにはそれなりの数が必要だったのであとさき考えずガンガン色々な花苗をぶち込んでいったら、なんというか、通路がひとつの生命体みたいになって、細部に意味が伴うようになった。
全体をひとまとまりと見られるようになると、同時に、全体の中の小さな変化にも気がつくようになるのかもしれない。
「私が植えたクレマチスには気付かないけどね!」by奥さん
(このあいだまた間違ってむしり取っちゃったのだ。。。)
お・・・おやすみなさーい。(-_-;) 汗

☆クリックしてもらえると励みになります☆
banner (47)

よければこちらもクリックお願いします。 

にほんブログ村 花・園芸ブログへ

関連記事

2016.10.28 | | 園芸コラム

«  | ホーム |  »

プロフィール

yuhei

Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
⇒ mail@brightside82.com

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新コメント

最新トラックバック

検索フォーム