橋下氏当選に思ふ

記者からの質問がなくなるまで会見を続ける―。
橋下徹大阪新市長がそう宣言したので、選挙後の記者会見は途中休憩を挟んで日付が変わる頃にようやく終了するという、異例のロング記者会見になった。ダブル選挙圧勝という快挙を成し遂げながらなお、自分の若さと、器量の大きさをアピールするのを忘れないその政治センスはなかなかのものである。
こういった彼の行動を「ポピュリズム」という人がいるが、それは違う。彼はポピュリストではなく、人心掌握術に長けたリアリストである。
単なるポピュリストなら、「都構想」などという抽象的で時間のかかりそうな公約は掲げない。「ポピュリズム」を単に「大衆迎合主義」と解すなら、どこかの市長のように「市民税を下げる」とか、また、どこかの政党のように「子供手当を支給する」などと言った方がずっと分かりやすいし、支持率アップにつながるはずである。
しかし橋下氏の口からそのような甘言が聞こえてきたことはない。それより「人員削減」とか、「公務員給与削減」とか、「国家斉唱もしない教師はクビだ」とか、人に何かを与えるより、何かを課すような発言が目立つ。

同じ意味で、「郵政民営化」を唱えた小泉元首相もポピュリストではない。彼もまた、単に人心掌握術に長けたリアリストにすぎない。テレビを活用し、ぶら下がり取材を慣例にして常に国民の目に自分の顔が見えるようにしたのは、大衆に迎合するため、というよりは、そうしたほうが政権運営がスムーズにいくと判断したからである。そして昨夜の、まるでブルース・スプリングステーンのライブのような橋下氏の三時間に及ぶ記者会見も、大衆に愛されたくてそうしたわけではなく、そうした方がベターだと彼が判断したからだろう。
仮に大衆迎合を目的として行ったのだとしても、僕の「リアリスト」という橋下氏への評価は変わらない。なぜなら、彼はそれを「大衆迎合のためにやっているのではありません」とこちらに信じさせるに足るポーズをとることも忘れていなかったからである。そこには記者への媚びやへつらい、迎合はなく、潰れた喉で「これはゴールではなく、スタートです」と意気込んで見せる若きリーダーの顔は真剣そのもので、見ていると頼もしく思えてくるほどだった。同じことを他の政治家がやっても、腹の底が透けて見え、寒イボが立つことだろう。
ただ演技をするのではなく、なぜ演技するのか、するとどうなるか、どんな効果を見ている者に与えるか・・・まで計算して動くリアリストだからこそできる芸当である。

そしてリアリストではあるがこの手の演技の才能が欠如しているのが、自民党の政治家であり、リアリストでもなく、演技の才能もないのにあるように見せようとするのが民主党の政治家である。

少々自信過剰で危なっかしいところはあるが、「演技のできるリアリスト」は今の日本では貴重だ。橋下氏にはいつか国政に参加してもらいたい。個人的な願望を言えば、外務大臣がいいな。彼なら「尖閣をさしあげてもいい」などとは口が裂けても言わないだろうから。



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2011.11.28 | | 政治

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