ヘソゴマより近く

花を育てている、と思ったことはない。

花を育ててみたくて始めた園芸ではなかった。
花で家を飾りたかったのだ。
数年前、今風のギチギチハウスに囲まれた、平屋建ての借家に住んでいた頃、「家はこんなんだけどウチには庭があるんだよこんちくしょう」という哀しい対抗心と反逆精神から花を植えまくった。
育てたくて始めたんじゃない、「勝つため」に始めた。
自分たちを大きく見せる為に、自分たちを慰める為に、「貧しい」という真実を覆い隠す為に花を利用したのである。
不純な動機のわりに花がよく咲いた。これは才能があるなと確信した。楽しくなった。
適当に土をほぐした場所にペチュニアを数株植えただけの、花壇とも呼べない花壇はいつしか覚えたばかりの1年草でひしめく花の絨毯になった。
馬鹿みたいにハンギングバスケットを吊るしてベゴニアやペチュニアをわんさか咲かせたら家全体がひとつの花カゴのようになった。
庭をはみ出して道路の脇を耕して「ストリートガーデン」なんてものも作ったりした。近所に住む大家が次第に煙たがりはじめたのを感じた。
苗を買いに行くのも、植えるのも、全身土だらけになりながら作業するのも楽しかった。気が付いたら陽が暮れて、クワやスコップ片手に地面が紫に染まってゆくのを見るのは<男の1日の終わり>として格別な気がした。庭が良くなればなるほど誇らしい気持ちになった。それは今も変わっていない。
庭を良くするのは誇らしいことなのだ。
ベランダであろうと借家であろうと野中の一軒家であろうと、自分の住む場所を飾る、彩るという行為は素敵な表現行為だ。
だから「花を育てる」というより「花で遊ぶ」・・・・「飾る」「盛る」「やる」と言った言い方のほうが僕の場合はしっくり来る。

花を植えて、種を撒いて、観る、撮る、書く。
理想を描いて、制約の中であがく。もがく。闘う。あきらめる。妥協する。別の道を探す。

何もしなかったり、何も出来なかったり、何もする気にならなかったり

そんな日もあった。

でも庭はいつもそこにある。

庭はヘソのゴマより僕の近くにある。

ブロック塀に囲まれた宇宙、コート、キャンバス、土俵、舞台、戦場、鏡、自分。
自意識の集積。
自己愛の花壇。
ぜんぶひっくるめて俺。俺が庭。
最後はLOVE

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2016.09.15 | | 園芸コラム

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Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
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