楽しめればそれで。

門扉の前でわさわさ茂っているコンボルブルス。

実はここにコンボルブルスのカーペットを敷こう!なんて思ったことはない。そもそもなぜここにコンボルブルスが繁茂しているのかもよく分からない。
ここがこういう状態になるまで、僕の中でコンボルブルスというのはリースや寄せ植えのアクセントに使う小道具的存在で、「グラウンドカバーに最適☆」なんて知識は持っていなかった。だから自分の庭のクセにこれがコンボルブルスだと認識するまでに時間がかかった。

つまりうちの庭は「こうしたい!」が現実化した庭ではなく、「こうなった」「こうなっちゃった」で収まった庭である。
もちろん「こうしたい!」がなかったわけではない。むしろ「こうしたい!」しかなかったくらいだ。でも花に限って言えば、「こうしたい!」は大抵上手くいかない。
風見鶏を飾りたい、ウッドデッキが欲しい、ポタジェにしたい、色を塗り替えたい・・・そんな願望なら、こっちの腕次第で何とでもできる。納得行くまでやり直しも効く。
しかし、たとえばクレマチスを自分の理想どおりに誘引させ、狙い通りの場所で花を咲かせる、なんてのは、これはもう技術以前の、半分「賭け」みたいな作業である。一度植えたらやり直すのは難しい。
そしてうちの場合、その賭けに勝った試しがない。
狙えば狙うほど外れる。
誘引すればそっぽを向かれ、愛と期待を込めて、ファーストクラスのほかほか用土に植えれば半月で枯れ、冗談半分でコンクリの隙間に植えたブットレアはこうなる↓

1+1=2の庭など、「趣味の園芸」の中にしか存在しない。(大体、あの星には雑草が一本も生えていない。特に「野菜の時間」の畑)
現実の草花はつれない、へそ曲がりのオタンコナスである。
このヘソ曲がりたちをどう人間の方へ向かせるか。
園芸とは結局その試行錯誤の繰り返しであり、「たたかい」である。
自分の庭を愛する為のたたかい。
「愛され庭」にする為のたたかい。
だからこっちも愛をもってたたかう。切る。抜く。捨てる。堀り上げる。
訳の分からないことも起こる。
庭とは、1+1=2ではなく、58947519236の世界である。予測不能。
愉快と不快、挫折と歓び、希望と絶望、偶然と必然、怒りと悲しみ・・・それらが渾然一体となった小さなカオス。
それでも、いつでも、「こうしたい!」を捨てずにいることが「愛され庭」への近道だと僕は思う。
たとえ「こうなっちゃったガーデン」になってもいいのだ。
楽しめればそれで。

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2016.05.22 | | 園芸コラム

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