馳せる思い

僕の勝手な思い込みかもしれないが、この国のどこかで何か甚大な災害が起きた翌日は、なんとなく自然がそわそわしている。

揺れたのは熊本だけれど、国全体が、日本というひとつの大きな塊が、じ~んと痺れたように、この国の中にある空が、木々が、光が、粒子が、静かにざわついている。何かを感知して、反応している。
今日は一日、風が吹き荒れていた。物言いたげな風だった。
熊本から吹いてくる風に思えた。

しかしそんなことはニュースを見たからそう思うのであって、もし何も知らなければ普通の「風の強い金曜日」としか思えないだろう。
そうかもしれないが、同時に、特定の場所や人に思いを馳せることで初めて読み解けるメッセージというものもあると思う。
思いを馳せるからそう「思えてしまう」と同時に、思いを馳せなければ見えない、聞こえない、感じられない暗号が、自然の中には隠されている気がしてならない。
今朝、ベランダに出てやけに澄んだ高い空と、殴りつけるような風に押されながら洗濯物を干していた僕が感じたのは、やはり畏怖であった。
自然への畏怖。
この風はただの風ではない。何かを知っている、何が起きたかを知っている風だと思うと、不思議な感動が芽生えた。
この国の主は人間ではない。自然である。
太古の昔からそうだったし、今でも、これからも恐らく神など信じない僕たちが唯一身近に感じられる超越的な存在が自然(現象)なのだ。
三重県の熊野に「花の窟屋神社」(はなのいわや神社)という世界遺産にも登録された聖地がある。イザナミノミコトがカグツチノミコトを産んだのち灼かれて死に、葬られた御陵ということになっているが、行ってみて驚いた。
穿たれた巨大な岩壁なのだった。
何もない、といえば何もない。
しかしそこには確かに「在った」。日本人なら恐らく誰でも感じるであろうピリピリした霊気がそこにはあった。
そのように、僕たちは岩山の奥に神を見ようとする。
巨木や山や海を崇める。
天皇皇后両陛下は去る4月2日、神武天皇凌を参られた。2600年前のじっちゃんの墓参りに行かれたのである。
2600年・・・・しかしそのずっと前から我々日本人は岩やら山やらを崇めてきた。すごいことだ。
そんなトンデモ民族なのだから、僕が風や日差しの中に何かを読み取ったとしても変人だと思わないで欲しい。

この国はつながっている。
道でつながっている。歴史でつながっている。活断層でつながっている。
自然の気まぐれからは誰も逃れられない。
日本とはそういう<運命共同体>的な、一隻の舟なのだ。
だからこそ馳せる思いもまた強い。

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2016.04.15 | | 時事問題

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