ギリシャの思い出

僕が初めて訪れた外国はギリシャだった。あらゆる物事にウンザリしていたので、出来るだけ遠くに行きたかったのだ。本屋でガイドブックを立ち読みして、決めた。神殿や遺跡の写真がたくさん載っていた。それらはまさしく、この地球上でもっとも世界の始まりに近い場所として僕の目には映った。そこに行けばパワーアップできる、リロードされる。そんな気がした。

18歳だった。クラスメイトたちはほぼ全員、就職した。僕は三年間着続けた制服を丸めて押し入れに放り込み、逃げるように日本を後にした。
アテネには4日か5日滞在したが、不思議なことに印象がまるでない。覚えているものと言えば、石畳の通り、古ぼけたホテルの黒電話、パルテノン神殿、グリークコーヒーの苦さと、指が抜けなくなりそうな小さなカップ・・・くらいだ。それと、「ガッチャマン」のリーダーみたいな長髪だったせいか、繁華街に行くと、ロックTシャツをよく持ってこられた。
「この間、ストーンズが来たんだよ。サイコーだったぜ」とかキサクに話しかけてくる。英語なんか全然喋れないのに、なぜか言ってることが分かるから不思議である。

アテネを後にして、ひたすら北上した。バックパッカーだから、新しい町に入る度に宿を探さなきゃならなかった。一度、連れ込み宿とも知らずにチェックインして、全身をダニに刺されたこともあった。バス停で土砂降りの雨に降られて立ち往生したり、山道を羊と一緒に歩いたりもした。アポロンの神殿では神の存在を感じた。船に乗ってサントリーニ島にも行った。
約一か月間、そんな調子でぶらぶらギリシャを縦断し、最後はギリシャ第二の都市、テッサロニキに落ち着いた。テッサロニキはテオ・アンゲロプロスの「永遠と一日」の舞台になった街である。海と、ベンチと、公園の街だ。そこでは老人たちがタバコの煙をくゆらせながらチェスをし、散歩する。マフラーをしたソクラテスや長靴をはいたプラトンがそこらじゅうにいる。

ホテルへの帰り道に、楽器屋があった。裏通りの、小さな店だ。ポスターやチラシで壁が埋め尽くされているわけでもなく、音楽が流れているわけでもない。それでもショーウィンドウにギターが掛けられてあったので、楽器屋と分かる。二度目にそこを通った時、思いきって中に入った。禁断症状が抑えられなくなってきたのだ。僕は一番安そうなアコースティック・ギターを指差した。

「このギターかい?これなら○○ドラクマだ」日本円で8000円くらいした記憶がある。
「考える」そう言い残して店を出た。
翌日、僕は背中にアコースティック・ギターを背負ってテッサロニキの街を歩いていた。ケースを買わなかったので、むき出しのままである。
昼間だというのに町には若者が大勢いて、あからさまに人を指差して笑う。まるで「ピエロが街にやってきた」って感じだ。そしてこう言う。
「ヘイ、ジャッキー!」「ジャッキー!」
確かにそう呼ぶのだ。ジャッキー。
それが「ジャッキー・チェン」を意味していると知ったのは、大分後の話だ。実はこのあとテッサロニキから鉄道でイスタンブールに入り、トルコを一周するのだが、トルコでも相変わらず僕は「ジャッキー」と呼ばれ続けた。

「何か弾けよ、ジャッキー」テッサロニキの若者たちに囃され、何か弾いたかもしれないが覚えていない。それに他人様に聞かせるほどの腕前もなかった。いくら「旅の恥はかき捨て」と言っても、捨てる恥をわざわざ増やすこともないだろう。

ある日、歩いているとどこからか若者の集団がやってきた。最初、様子を窺うように遠くからこっちを見て笑っていたので、またフーリガンどもがからかいに来たのだろうと無視していたのだが、そのうちモジモジと僕の前にやってきて、フーリガンの一人が英語で言った。
「メタリカ知ってる?」
知ってる。と僕は答えた。
「ナッシング・エルス・マター弾ける?」
「弾けない」
すると仲間の一人が彼を指差して、「こいつ、学校で一番ギターがうまいんだ」と言った。
「弾いてもいい?」僕は彼にギターを渡した。
彼は本当に上手だった。セーハは正確だし、アルペジオも一つ一つの音がくっきり聞こえた。僕とは大違いだ。しかも自分と同じ18歳だと言うから複雑である。「今度学校の演奏会でこれを弾く」と彼は言った。これ、というのはもちろんメタリカである。彼の頭の中にはメタリカしかない。メタリカのみが音楽なのだ。そのくらい彼はメタリカが好きらしかった。こんなヨーロッパの地方都市のキッズさえ夢中にしてしまうんだから大したものだ、と僕はその時初めてメタリカを認めた。
ギター弾きの多くがそうであるように、彼もまた一度ギターを握ったら手放さないタイプで、人のものでもお構いなく弾き続けた。気付いたころにはもう日も暮れかけており、彼の仲間たちもみんな家に帰ってしまった。最後に僕が自作のリフを披露したら彼は「
sad song」と言った。

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いま、ギリシャは国そのものが存続の危機に瀕しているという。僕が旅したときはそんな気配は微塵も感じなかったが、ただ思ったのは、何もしていない人間が多い。ということだ。昼日中でも若者はふらふらしているし、カップルはオープンテラスで談笑しているし、おっさんたちはグリークコーヒー飲んでるし、「シエスタ」(昼寝)の時間になると本当に店が閉まってしまう。(そういう時はホテルに帰って僕も寝た)当時は「いや、日本人が働きすぎなのだ」と好意的に捉えていたが、このような事態になってしまうと、やはりちょっとお気楽な国民性だったのかなと思わざるをえない。

ニュースでデモ隊の映像を見るたびに、ギターの少年を思い出す。彼は今日もどこかで「ナッシング・エルス・マター」を弾いているだろうか。

 

So close, no matter how far

Couldn’t much more from the heart

Forever trusting who we are

And nothing else matters

 

離れた距離なんか気にならないくらい近くに感じる
これ以上ないほど心から
俺たち自身を永遠に信じるなら
他のことはどうでもいいんだ


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2011.11.01 | | 未分類(日常、随筆)

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Author:yuhei
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