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Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
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元気な何か
つるバラが満開になった。

右を向いても左を見てもスカっとしないことばかりだが、庭の花たちはどこ吹く風である。

それが暮らしの中での貴重な癒しになっている。

元気なものを見る―・・・。
これは何でもないことのようで意外に大事なことである。
ということをコロナのお陰で知った。
スタジアム一杯の客の声援に包まれながら走り、打ち、シュートし、投げ、引っ張り、歌い、叩き、踊り、転げまわり、叫び、涙する。
スポーツでも芸能でも、観る者はそこからほとばしるエナジ-に酔い、自らもそのエナジーを分けてもらっている。
夢と感動を届ける、とよく言うが、それと同時にスポーツ選手やエンターテイナーは、大衆に生(元気)を切り売りしている。
今はスポーツの試合が出来ないから、テレビではよく過去の名試合や名シーンを振り返っている。
それらを見ながらつくづくそう思った。
元気な「何か」が見たい―・・・と。
そんなことすら意識せず、ただ流されているものを有難みすら感じずに漫然と享受していた頃が懐かしい。

今はとにかく自分で自分を鼓舞するしかない。
花を眺めながら。

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産廃 行政書士 許可

ガーデニング | 00:24:04
コロナで愚か
近所の公園は首都圏では少しは名の知れたバラの名所である。

しかし今年はバラは咲かない。

例年なら今頃はもうぼちぼち咲き始めて、前かがみになってバラの花をカメラに収めんとする人たちの姿で賑わう。

今年は咲く前に全部切り落とされたようだ。


千葉の佐倉市でも約80万本のチューリップがコロナ感染拡大防止を名目に切られた。
恐らくこのような措置は全国のガーデン、植物園、公園で行われているのだろう。
個人的にはこの程度の規模の公園なら、来園者にはマスクを必ずさせて、ポイントポイントにボランティアのスタッフでも立たせてソーシャルディスタンスを取るよう呼びかけを行わせれば問題ないと思うのだが、管理者が一番恐れているのはコロナではないのだろう。
自粛警察。
どこの誰とも知らない「市民」からのクレーム。
なぜバラが咲いてるんだ?
人が集まるだろうが!
そんなクレーム対応に追われる事態を想定したら、花を切り落とすほうが100倍ラクである。
だからみんなそうする。

大東亜戦争中、どこの家では贅沢をしている、どこの家ではアメリカの音楽をかけていると、頼まれもしないのにあることないこと憲兵に密告する国民がいた。
そんな卑しい人種はあの特殊な時代の産物だと思っていたが、違った。
もともと、日本人とは強いストレスを受けるとそのように他人に対して極端に不寛容で排他的になってしまう民族なのであった。
それが現代ではSNS等を介して連鎖し、自粛警察と呼ばれるまでになった。
集団ヒステリーである。
東日本大震災の頃はもっと冷静だったが、この9年の間に何かが変わったのか、それとも潔癖な民族性から感染症に対しては異様にうろたえるのか・・・
ともかく、「日本人」というものの本質の一端が、コロナによって浮き彫りにされたのは事実である。

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産廃 行政書士 許可

時事問題 | 21:57:30
庭があって良かった。
うちの事務所も土曜日から連休に入った。
自粛下でもホームセンターは営業してくれているので野菜の苗と種を買って来て、庭に出た。
今年もトマト、なす、きゅうり、オクラ、枝豆、サトイモ、バジルなどを育てる。
とりあえずオクラと枝豆の種を撒いた。


一足先に植えていたジャガイモはすくすく育っている。

ところで、外になかなか出られないため、今年は家庭菜園を始める人が増える見込みと聞いた。
それもこれも、庭があればこそ、である。
マンションにはマンションの利点もある。庭のない家には代わりに収納が広いとかリビングが20畳あるとかカーポートがあるとか、3階建てだとか、他に自慢できる面があろう。
我が家は古い。カーポートもない。ウォークイン・クローゼットなんて見たこともない。
だが広い庭がある。
庭は自慢である。
土がある。
虫がいる。
新緑の葉がある。
木陰がある。
風が吹く。
火を起こせる。肉を焼く。畑のレタスをもぎってサンチュ代わりに焼いた肉に巻いて食える。
河原や公園に行く必要がない。
花をたくさん植えたので花が咲いている。
近所のバラ公園では毎年バラ祭りが開催されるが恐らく今年は中止だろう。
だが庭にバラが咲くからウッドデッキに座ってコーヒーを飲みながらバラも見られる。
数年かけてバラをたくさん植えたからである。
それなりに苦労した。
管理は大変である。

何が言いたいのかというと、前々から言っていることだが、これを機に日本人はもう一度庭のある家に戻ったらどうかと思う。
日本人は庭を捨てた。庭のある生活を捨てた。
昭和~平成初期の時代は「庭付き一戸建て」がサラリーマンの夢であり、ステータスシンボルだった。庭があることを「無駄」と誰も思わなかった。
自分の親は90年代前半に念願のマイホームを買った。典型的な建売住宅で、色違いで同じ形をした家が他に4棟並んでいた。全てにまあまあ広い庭とカーポートが付いていた。
今では「ビルトイン食洗器、ウォークイン・クローゼット、断熱材、太陽光パネル、3階建て」がステータスである。
太陽光パネル以外、全部家の中の設備である。
家の外のことなど眼中にない。
つまり庭や外構にこだわる人が少なくなっているということである。
特に庭に関しては、あってもなくてもどっちでもいいという感じではなかろか。
しかしこうしてステイホームを余儀なくされ、外出もままならない、公園にも行きにくいとなったとき、あってよかったと思うのはウォークイン・クローゼットではない。食洗器でもない。
空と、太陽の光と、風と、土の温度と、緑と、無数の小さな生き物たちである。
つまり<自然>だ。
自分だけの自然。
庭を持つと、<自然>を所有することが出来るのである。

散歩もいいだろう、公園でキャッチボールもいい。
しかし他人の目も距離感も気にせず、健康的かつ教育的に鬱々とした気分を和らげ、家族の時間を過ごせるのは庭である。
そんなこと言ったって庭のある家自体が売ってないのは百も承知である。
しかしそういう状況にしたのは我々今を生きる消費者である。
自分たちがそれでよしとしてしまったからこうなった。
それを喜んで買うようになったからこうなったのである。
かつては都市部だろうと田舎だろうと新築の家には小さいながらも庭がついていた。
今より人口が多く、しかもこれからどんどん増えるぞといわれていた時代で、である。
超高齢化社会、空き家増加、子供減少、人口減少の一途を辿るこれからの時代で、庭付き一戸建てが増やせない訳がないのに、どういうわけか一戸の古い庭付き住宅をつぶして、三戸のギチギチハウスを建てる、そんな商法をまかり通らせてしまった。
そうやって数を売って利益を得るハウスメーカーのやり方を許しているのは他でもない我々現役世代である。
そしてこの商法を止められるのも、我々である。
我々が自分の親たちのように庭を欲しがれば、日本人はまた花と緑に囲まれた生活を取り戻せると自分は信じている。

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産業廃棄物 許可 行政書士

園芸コラム | 01:30:16