
要領は過去記事「ブロック塀でも諦めない☆エスパリエ仕立て」とほぼ同じ。

ホームセンターで売っているワイヤーメッシュを、曲がる平っべたい金具に引っ掛けるだけ。
ここにツル性の植物を絡ませてブロック塀を隠す作戦。
手始めにクレマチスを。。。

既に錆びている(笑)のは、エスパリエ仕立てのときに通路用にも買っておいたのに軽く3ヶ月も放置したから (-_-;) (一気に全部は出来んよ)
本当はこんなワイヤーメッシュなどではなく、防腐剤を塗った杉板でもバババッと立てかけて板塀にしちゃうのが一番オシャレなんだろうけど、右側のブロック塀を隠すだけでもたぶん板が2~30枚は必要になる。やれば出来なくはないが、ここは借家で、いつか全て取り外し「原状回復」するときが来る。
それを考えると、そこまでして隠したいか、隠す必要があるのか。。。。という問題に直面する。
個人的にはブロック塀はキライだ。灰色なのがキライだ。ナメクジが這うからキライだ。どれも同じ積み方、同じ用途なのがキライだ。意味もなく穴(それも星形とかハートではないナニコレ?な穴)が開いているのも気に入らない。こいつをこの国から消し去ればきっともっと毎日が明るく楽しいものになると思っている。
だから隠せるものなら隠したい。。
だが悲しいことにこの国はブロック塀が大好きである。ブロック塀大国である。ブロック塀のない日本など考え付かないくらいそこら中にブロック塀が溢れている!
そんな国にあって、ブロック塀に目くじらを立てても詮無いことであろう。
いつかマイホームを建てる時がきたら、自分の敷地だけはレンガなり漆喰なりにすればいいのであって、とりあえず借家身分の今は我慢、我慢。
とまあ、そういう結論に達し、ワイヤーメッシュで行くことにしたのだった。
スプリットペタル(朝顔)も忍ばせておいたから、2ヶ月もしたらけっこう楽しいブロック塀になるんじゃないかな。

週末に「恥ずいライブガーデニング」で植栽した部分・・・・。

マリゴ、サルビア、ジニアは庭を明るくする「キラートリオ」。丈夫で花期も長いので11月くらいまでこのまんま。
ブットレアを剪定したら足元が寂しくなったので、看板の下に青系の花を。

イソトマ、ブルーセージ、矮性のアンゲロニア。
青い花はグレコマとよく合う。
これを植えている最中、一人のマダムに「○○の道の駅でイソトマ、5株で300円だったわよ!」とのマル得情報。「レジがすごい列だったから買えなかったけど」
「お宅はどこで買ってらっしゃるの」と別のマダム。
「いやー・・・その辺ですよ、ディスカウントストアとか」(ホントは岐阜とか三重とか愛知とかでも買ってるケド)
こういうやり取りをしているとき、自分は一体どういう顔をしているのだろうか。。
案外目を輝かせてたりして。。。汗
とりあえずそのイソトマ、狙いだろ。。(-_-)/
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少し肌寒い。

でも昨日植えた花苗たちにとっては嬉しい雨だろう。畑も乾いていたし、これでまたぐんと成長する。
雑草も・・・だけど。。

このまま梅雨入りかな。

日陰の庭にインパチェンスを植えたら、

たった3株だけど、それだけで、そこだけ灯りを点したみたいにポッと明るくなった。
雨の日でも、そこに色があれば嬉しくなれる。
だから花が好き。
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まず梅の実を収穫した。

血眼になって探して35個収穫!

20個獲れれば合格と思っていたので上出来である。しかもなかなか大きいしキレイ。
重さにすると・・・

578グラム。
道の駅とかに行けば1キロ300円とかで買えちゃうんだろうけど、これは半分「実験」みたいなもの。とりあえずこれでウチのシングル梅、人工授粉させればこのくらいは実が収穫できることが分かって良かった。来年はもっと多収穫を目指そう。
とりあえず自家製梅ジュースをウッドデッキで飲む夢は叶いそうである。
そのあと通路のジャイアント・ブットレアを剪定したり、

通路や花壇に苗を植えたりした。

夫婦で通路で作業していたものだから犬の散歩に出てきた近所のマダムたちに声掛けられまくり。
「あら、植え替え?」「そうなの、植え替えしてるみたい」「きれいね~」「わあきれい」「きれいきれい」「ワンワン!」
むっちゃ見られている中でのライブガーデニング。。。
面白いことにブットレアの姿に衝撃を受ける人が沢山いた。「切っちゃったの!!!」とあからさまに残念がる人もいた。(その度に作業中断を余儀なくされる訳だが)
それにしてもブットレアの成長を見守ってくれていた人がこんなに多かったとは夢にも思わなかった。(この界隈ではなぜか人気なのである)
一人には挿し木用に剪定した枝を差し上げ、別の人には逆にヒューケラをお裾分けしてもらったり、また別の人には苗の安い道の駅を教えてもらったり・・・・賑やかな作業になった。

休憩を抜かしたら6時間は庭にいた。
さすがにちょっと疲れた・・・。
あー。。また仕事かー(T_T) 頑張りまーす!
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朝、庭を一回り。
朝陽の降り注ぐ庭ではないし、周りは家ばかりだけど、朝には朝だけの「音」があったり「におい」があったり、時の流れ方がある。こんな住宅街の真ん中でも、庭に出るとその季節を形作る色々な要素を感じることが出来る。
庭木の葉の色、茂り具合、雑草の種類、畑の野菜の背丈、風の温度・・・。
それらが毛穴から鼻腔から口から目から僕の中に入ってきて、僕の中にある過去の幾つかの「5月の晴れた朝」を掘り起こし、最も幸福と安らぎを感じる「ある日」を頭の中の映写機に映し出そうとする。その映像は時にあいまいで、ともすると完全なフィクションの場合だってありうるのだが、それこそ今感じている朝の空気の心地よさが作り出す幻影であり、僕はそれを歓迎する。目の奥で抱きしめる。

朝の緑には追憶が詰まっている。
さてさて。
手前が落花生、後ろが枝豆。
野菜を育てるのは難しいし、挫折も多いけど、成長していく過程を見ていると何故かこちらまで元気がもらえる。
花とは違う充実感を得られる。
やはり「腹の足しになるもの」とそうでないものとの差だろうか。花なんか何十株咲かせたって飾りでしかないが、じゃがいもが十個出来れば多分1ヶ月は水とそれだけでとりあえず死なずにはいられるだろう。
野菜の苗がすくすく育っているのを見たときに感じるあの充実感は、きっと動物的な、生存本能的な「安堵感」なのではあるまいか。
これらはちょっとしか腹の足しにならないデザートみたいなものだけど。。。スイカとメロン。

すくすく伸びている。
ラフランスをエスパリエ仕立てにする為に買ったワイヤーメッシュ、こんな所でも役立っている。もう錆びちゃってるけど、平気みたいね。。。
3週間前にザックリ切り戻したパンジーとサフィニア。

切り戻し成功したみたい。

明日は心行くまで園芸しよう。

早起きして、また朝日を浴びよう。
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オバマ・・・・702発
両大統領が就任してから退任するまでの間に削減した核兵器の数である。
率にしてブッシュは削減率50%。これに対し、オバマはたったの13%・・・・。
これは冷戦終結後の歴代大統領の中で最低水準である。
米国防総省が新しく公開した資料で明らかになった、と今日NHKが伝えていた。
呆れた。
これでは「核なき世界」を標榜しながら実はほとんど何もしていなかった「口だけ番長」と言われても仕方あるまい。
702発しか廃棄出来なかった理由として、専門家はロシアとの関係が悪化したから、共和党が強く反対するからとオバマを擁護するが、「ロシアガー」「ヤトウガー」じゃどこかの「民主党」と変わらない。大体そんなに共和党が核削減に否定的なら、共和党だったブッシュはどうやって5000発以上の核兵器を廃棄できたのか。
要するに「やる気」「本気度」の問題であろう。政治家としての行動力の差。
演説で核兵器が減るのなら世話はない。
今日の「広島演説」は、原爆投下を原始時代から続く人類普遍の「暴力性」の最も残酷なもの、というスタンスで、原爆投下云々ではなく、暴力による解決を断固否定するという姿勢が強調されていた。
「71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました」と彼は言った。
「閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します・・・」
これだけで謝罪など望むだけ無駄だったと分かる。
なぜなら、オバマは「核」を理解していないからだ。その残虐性を想像する能力がそもそもない。
彼の中では広島はポンペイ遺跡と同じである。原爆を天災か天変地異か、もしくは神による超自然的な天罰で消え去った気の毒な町、くらいにしか思っていない。
要するにヒトゴトである。
「空から死が降ってきた」のではなく、アメリカ軍の飛行機がやってきて落として行ったのである。わざわざ日中、最も一般市民が活動している時間を狙って。
それも戦争に「勝つため」ではなく、戦後、ロシアとの覇権争いを優位に進める為に、また、人体実験として。
おまけに、なんとなく一発じゃ足りないから長崎にも「死」を降らせた。
自分はそんな非人道的な大量虐殺を堂々とやってのけた国の代表なのだという自覚がない。
あったら謝る。
その点、父の時代に諜報機関がやったことなのに口先だけでも「拉致」を認め謝った金正日のほうがマトモであった。
僕も多くの日本人と同様、あえて今さら「謝れ謝れ」と騒ぐ気は起こらなかったし、せっかく来てくれているのにわざわざ友好関係にヒビを入れるような言動は慎むべきだとは思っている。思っちゃいるけど原爆投下を「人類普遍の暴力」にすり替えられても「うんそうだね」とは思えない。
大体、日本人はそんな「人類」の仲間ではない。
日本人は縄文時代から暴力を嫌っていた、という論文がこのあいだ発表された。
山口大学と岡山大学の共同研究で、縄文人の暴力による死亡率が他国や他時代の暴力死亡率と比べて5分の1だったというのだ。ほとんどが病死、自然死で、死因になったと見られる傷跡が認められたのは全体のわずか1.8%しかなかった。
もちろん戦国時代は争いに明け暮れていたし、凄惨な暴力や拷問もあったろう。
しかし我々日本人の思う残酷なんて、中国人や白人のしてきたことに比べたら菜の花畑みたいなものである。
そんな「お人よし」の民族だから朝鮮半島を植民地にするや病院と学校をせっせと作り、鉄道を敷き、道を作り、満州には東京もひっくり返るような美しい大都市を建設し、リトアニアでは迫害に追われる6000人のユダヤ人を助け、東南アジアでは搾取・強奪・強姦・虐殺をほしいままにしていたオランダ人とイギリス人を追っ払った。
オバマは日本人もアメリカ人も同じ「人類」だと思っているんだろうが、違う。
我々とアングロサクソンやアフリカ人は、根本的に違う。顔はそっくりでも中国人とも韓国人ともその精神性は水と油である。
日本人に似た民族は世界中どこを探してもいない。 そのくらいユニークな民族である。
だから原爆を落とされて、同じ人類同士、「暴力のアホさ加減を共有しよう」と言われても、「いや、ウチら違うし・・・」としか思えないのが本音である。
だから被爆者の代表がちょっと握手されたくらいであっさり懐柔されて、ほっこりニヤニヤ「(オバマ大統領は)人を思う気持ちが強いのでしょうか、手を握る力がどんどん強くなって・・・」とか言っているのを見ると「お前にプライドはないのか」と言いたくなるのである。
謝罪されたのならまだしも、そうでもないのに何をニヤニヤしてやがるのか。
声を出す間もなく吹っ飛ばされた人たちに恥ずかしくないのか。
と思ってしまう。
日本人は崇高で高潔でユニークで平和的で、優秀だと思う一方で、こういう奴隷根性丸出しの日本人を見ると、なんとまあ御しやすい民族であることか、GHQも統治するのがさぞ楽だったろうと思うのである。
韓国人だったら絶対にあんな卑屈な笑みは浮かべない。
アメリカ人に媚びへつらう被爆者は、「1000年恨む」という隣国人より頂けない。
しっかりしろ、日本人。
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