庭に「四季」が欲しい。

借家である我が家には大家さんが過去に植栽したと思われる庭木が最初から植えられている。つげ、つつじ、月桂樹、サルスベリ、アジサイ、シュロ、ゆず、柿、梅、紫式部、ダイダイなどなど。昭和の家だから和風の庭木が中心で、しかもほとんどが常緑なので季節の変化に乏しい。梅や柿は葉の色が変わったと思ったらずぐ落葉してしまうし、唯一美しく紅葉する萩もたった一株だけで紅葉を楽しむというほどではない。

この家に越して丁度1年経つ。
夏まではなんとも思わなかった我が家の庭木について、巷が秋色に染まるにつれてだんだん物足りなさを感じるようになってきた。
例えばピラミッドアジサイの朽ちた姿、枯葉混じりのバラの新芽、色づいた下草・・・。そういうものが自分の庭にも欲しくなる。
我が家も春~夏は新緑がまぶしいほどだが、秋~冬は柿と梅の葉がなくなるだけでそれ以外は変化なし。極めつけはたくさん植わってるツツジの花が5月になってもまったく咲かないこと。単なる緑の背景になっている。
せっかく庭があるんだから少しは四季の変化を感じたい。コリウスが終わりました、ポーチュラカが枯れましたとか、そういうんでなく。。

奥さんは畑を潰して花壇を増やし、そこに宿根草を植えてもいいと言ったが、そこまですることはない。もともと僕は畑より花壇派で、菜園はあってもなくてもどっちでも良かったが、今さら野菜をやめる気はない。
やっぱり花一杯の花壇の向こうにトウモロコシがそよいでいたり、トマトの赤い実が見えたりするのはいいものだった。野菜をやめて花だけにするのはちょっと勿体無い気がする。それに前にも書いたが、金に物言わせて宿根草植まくって「涼しいドヤ顔」しているような気取ったガーデナーにはなりたくない。
しかしつつじなど常緑の庭木を今さら抜くことは出来ない。数十年前から根を張っているので超人ハルクでもない限り容易に植え替えたり出来そうにない。
出来ることといえばバラだ。
つるバラではなく、立木性のバラを随所に配して、季節の変化を楽しむ。
しかし↑の自転車置き場周辺は日陰。
半日陰でも大丈夫なバラを探して植えるしかない。それから背後の庭木と調和するような山野草、宿根草を植えたり。。
まだ方向性全然定まってないが、「変える」ということだけは決まっている。
どこかの民主党のように「結論を先送りにするという結論に達した」
なんてことにならないよう、奥さんがいま園芸雑誌を読み漁ってアイデアを練っている。
園芸雑誌って鼻持ちならない庭が多いからグチばかり言い合っている。
どうなることやら。

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2014.11.30 | | 園芸コラム

公共工事の何が悪い

長野の地震には驚いた。なにせ安曇野から帰った翌日に起こったからだ。
地震の前だが、NHKで各党の幹事長が討論をしていた。民主党も維新も口を揃えて国土強靭化政策を批判し、「公共工事」の増加を槍玉に挙げていた。建設業界を悪者にすれば票が得られると思っている。
元民主党で現維新の会の松野頼久は「これからは人口減少社会、新しい道を作っても利用者が減ることはあっても増えることはないんです」とドヤ顔で言う。
渋滞なんか放っておいても解消するんだと。あまり人が通らない橋なら、これからもっと通る人が減っていくので劣化しても放っておいていいと言わんばかり。
さすが元民主だけあって凄いことを言う。中国人みたいな発想だ。
そういえば民主党は与党時代に談合だの天下りだと因縁をつけるだけの行政改革を断行して公共工事を減らし、その役所が発注する工事を請け負うヤツラも悪だと触れ回っていた。大学教授から小銭稼ぎのコメンテーターまでがその妄言に加担して追い風を吹かせた。「コンクリートから人へ」と叫んで物を壊したり建てたりすることがいかに時代遅れかと糾弾した。
そのスタンスは今でも変わっていない。イオン岡田の顔を見ていると、数年前から同じカセットテープを繰り返し流しているデッキに見えてくる。
民主のネガティヴキャンペーンのおかげで、いま、建設業に従事しようという若者が激減して深刻な人手不足に陥っている。
仕事柄、建設関係の事業主さんとよく会う。皆口を揃えて「人が来ない」と嘆く。求人を出しても応募がない。待遇を良くしても変化はない。アベノミクス効果で公共工事は増えつつあるが材料費の高騰と人手不足でどうにもならないと。
京都大学教授で「国土強靭化政策」の提唱者である藤井聡氏の「築土構木の思想」というネット番組に、元国交省技監の大石久和氏が出演して、こんなエピソードを披露していた。
ある日工事現場に立っていたら、そこに小さい子供をつれたママさんがやって来た。通り過ぎざま彼女は子供にこう言った。
「勉強しないと、ああいう風になっちゃうのよ」
道路でも橋でも、工事現場にいる人間はみんな社会のはみ出し者か負け犬だとハナから決めてかかっている。そこに道があるのも、信号がついているのも、橋が架かっているのも雨が降れば草が伸びるように当然だと思っている。
必要なものは当たり前だと感謝もせず、一見無駄に見えるようなものだけを声を大にして迷惑がる。本当に無駄かどうかもろくに調べもせず。
これが日本人のインフラ感だ。
この低レベルの国民意識におもねったのが民主党であった。
このご時世、土木工事など志せば後ろ指差されかねない。頑張っても感謝どころか理解もされない。人が減って当然だ。
そういう、若者から夢を奪い、特定の職業を貶める政治を民主党はやり遂げた。
それをもう一度やらせて下さいとイオン岡田は言う。
冗談じゃない。
民主党にかかったら人手不足をいいことに得体の知れない韓国人や中国人を大量流入させて国内でエボラ感染第一号を生むのが関の山だ。
大体こいつらは「コンクリートから人へ」とか言いながらその「人」も救えなかった。沖縄県民を愚弄し、被災者を見殺しにし、日夜領海を守っている海上保安庁の職員の苦労をもみ消した。
「リベラル=弱者の見方」などでは決してないということを、彼らは教えてくれた。

ところで、いま関東では「圏央道」という高速道路の建設が急ピッチで進んでいる。
この道路は正式名称を「首都圏中央連絡自動車道」といい、都心からおおむね4~60キロの位置をぐるりと結ぶ画期的な道路だ。足かけ30年の歳月を経てもうすぐ全線開通という所まできている。
この道路の最大の特徴は、「地方と地方を結ぶ」点にある。東京の人が地方に行く、地方の人が東京に行くのに便利、ではなく、地方都市に住む人々が、東京を介さずに地方へ行くのに便利なように作ってあるのだ。
たとえば千葉県の東金市に住む人が、フジロック(苗場)を観に行くために関越自動車道まで行こうとする場合、千葉市を通り、船橋を通り、渋滞天国の市川を抜けて外環を使って埼玉に入り、所沢インターまで行かなければならない。つまり東金の人にとって、新潟に行くための最寄のICは「所沢」ということになる。多分東金からだと所沢ICに着くまでに4時間以上かかる。
馬鹿げている。
圏央道が開通すれば、東金ICから埼玉の鶴ヶ島JCまで一本で行ける。上総の人にとっては東北自動車に行くのも似たようなもので、非常に面倒くさい。それも圏央道が繋がれば埼玉北部の白岡菖蒲ICまで一本で行ける。
道が繋がれば人が流れる。人が流れればお金が流れる。物が流れる。災害時にも救援物資輸送に役立つ。
新東名高速道路は海沿いを走る旧東名が津波でやられたときのことを想定して山側に作られている。
あの道を走っていると古代ローマを思い出す。古代ローマは首都へと続く主要な幹線道路を複数に分けた。どれか一つが予期せぬ事故で塞がれても対応できるようにだ。
インフラストラクチャーの語源はラテン語で「下部」とか「基盤」を意味する」「インフラ」と、「建造」や「構造」という意味の「ストゥルクトゥーラ」を合わせたものだ。しかしこの言葉は現代になって作られたもので、ローマ人は自分たちのやっている工事を「インフラ・ストゥラクトゥーラ」なんて呼んでいなかった。そんな言葉は当時のどの文献にも載っていない。
「ローマ人の物語」の塩野七生氏によればローマ人はインフラ整備のことを「モーレス・ネチェサーリエ」と呼んでいたという。
「必要な大事業」
と彼女は訳す。
塩野氏が文献を当たったとき、この「必要な大事業」という言葉の前に、こう記してあったという。
「人間が人間らしい生活を送るのに」
インフラとは、人間が人間らしく生活するのに必要な大事業、とローマ人は考えていたと同氏は語る。

昨日、仕事で船橋まで行った。さいたまから船橋なんて地図で見れば近いものだが行きは2時間半かかり、帰りは3時間以上かかった。
帰り、渋滞がなければ道路沿いのレストランにでも入ってゆっくりランチを摂るつもりだった。しかし道は混んだまま。仕方ないからコンビニでサンドイッチとから揚げ棒を買って済ませた。
人口減少社会だからどうとか、公共事業は無駄遣いだとかいう人には、多分「人間らしさ」が欠如している。自分が「人もどき」だから、人間の営みに対する愛や敬意や慈しみ、想像力が乏しい。
無駄な公共事業もあるだろう。ゼネコンの下請に対するやり口も汚いものがある。族議員が跋扈し、地元に金と仕事を振ってやる見返りにどうとかこうとか、そういう汚い話も出てくるかもしれない。
しかしそういうものは成長期の副作用みたいなもので、ある程度は仕方がない。副作用のことばかり考えて「それなら」と肝心の成長まで放棄したのが民主党政権だった。
そのくせ増税はさっさと決めた。
誰も正しいように見えない時代だが、民主党に入れる票はない。

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2014.11.28 | | 政治

露地やコンテナで冬の寄せ植え

連休最終日の昨日(日曜日)は家の中でのんびりしようと思っていたのに、たった1秒庭に出ただけで家の中にいるのが馬鹿らしくなった。苗もある。天気もいい。明日からは怒涛の仕事ラッシュが待っている。なにより奥さんが一足先に通路に出て草むしりなどしている。奥さん一人にむしらせていて良いわけがない。別におもんぱかって言うのではない。人が草むしりをしているのを見ると自分もしたくなるのだ。
二人で草むしりをしつつ、伸びすぎたヒメツルソバや季節外れのコリウスなどを剪定した。地植えにしていたオリヅルランやデュランタライムも植え替えた。当然何か植えたくなる。
通路の一番手前、道路際の場所に寄せ植えをした。去年もここに同じように寄せ植えをしたので、今年も。

おなじみの冬苗で。葉牡丹、パンジー、アリッサム、ストック。
・・・見れば分かるっつうの(笑)
小人なのかドワーフなのか、その辺に転がってたんで置いた。

工夫という程のものではないけど、前の列と後の列で高低差を付けてみた。どうしてもこういう場所に植えると、「背の順」になる。前は背の低い苗、後ろにストック、みたいな。それも整然としていていいんだけど、なんか決まりすぎていて面白くないから、上の庭から余った土をテミに入れて運んできて傾斜を作った。これなら遠くからでも後ろにあるアリッサムやパンジーも見えるかなと。

道路から見たらこんな感じ。作業直後で周りが土で汚いけど・・・。

↓ちなみに今年1月20日に植えたときはとこんなだった。

なんもねーwwwww。

さて、通路で浮いた存在になっていた、徒長したコリウスやオリヅルランは奥さんが掘り上げてどこかに持っていった。
捨てたと思ったら化けてた。

こんなコリウス、僕なら迷わず捨てるところだが・・・。
寒さですぐ駄目になるので居間の出窓に飾りました。

そのあとブリキのコンテナに寄せ植え。

もともとインパチェンスとエレモフィラが植わっていたのだが両方とも駄目になりかけていたので思い切って植え替えた。インパチェンスは捨てずに通路へ移したが、宿根のはずのエレモフィラは地上部が枯れ果てたので根元まで剪定した。

こちらは奥さんのエリカとグレコマを使った鉢植え。

グレコマがカワイイ。

植栽活動も終え、夕飯何にしようかと思い、春菊を収穫した。

すきやきに入れて頂きました。ちょっと大きくなってから時間が経っていたのでもっと筋張っているのかと思ったら全然普通に食べられた。
結局日暮れまで庭にいた連休最後の日でした。

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2014.11.25 | | ガーデニング

安曇野のイルミとHAMAフラワーパーク

昨日、飯沼飛行士記念館の記事をアップしたが、その数時間後に、長野県北部・震度6弱というニュース速報を見た。
僕が訪れた安曇野や松本は県南部なので被害はないようだが、びっくりした。ちなみにさいたま市はほとんど揺れを感じなかった。
さて、飯沼飛行士記念館のあとは「わさび農場」へ。
安曇野はわさびの産地として有名なんだそう。知らなかった!
これ全部わさびの苗!

この辺りは湧水が多く、水も綺麗でわさびの栽培に向いているのだ。ちなみに畝と畝の間の水路は人が歩くのと同じ速度で水が流れるように傾斜を3~4℃にしてあるという。その傾斜を何キロにもわたって維持するのってむっちゃ難しいと思うんだけど、先人たちが手足を真っ赤にしながら開拓した成果だという。
流石わさび農場だけあって、わさびのお焼き、わさびのコロッケが売っている。
 
お焼きは「食いに行け」と人に薦めたいほどマジ美味。
コロッケはわさびの味あんまりしなかった。

わさびの花。

蕎麦といい、わさびといい、長野という土地は特産品から町並み、風景、女性にいたるまで、品性と清潔感に富んでいる。

夜はホテルのサービスで「国営アルプスあづみの公園」のイルミネーションを見ることが出来た。予め入場券を購入し予約しておくと、夜、マイクロバスで連れて行ってもらえる。希望者は自分たちを入れて2組だけだったが、奥さんが加入している情報サイトのパワーで我々は入場券フリーだった。ちなみに奥さんが加入している情報サイトの力でディナーのバイキング時には一人900円までのドリンクが無料だった。「○○さまはグレードアッププランでのご予約ですのでこのようなサービスをさせて頂きます」
それを静まり返ったホール内でボーイがでかい声で言うものだからちょっと恥ずかしかった。
「そんなサービス付いてたかしら」
「日ごろの行いが良いとこういうサプライズに当たるのだ」

それはそうとイルミネーションは素晴らしかった。

仙台の光のページェントは並木道を照らすが、こちらはもっと人工的で、幾何学的。それが架空の宇宙都市のようで面白い。ちょっと寒いけど。。。

カップルのためのムーディな演出も随所に散りばめられている。

正直、安曇野にこんな観光資源がたくさんあるなんて思いもよらなかった。偶然とは言え、ここに来てよかった。
ホテルに帰って冷え切った体を温泉で温めなおし、ぐっすり寝た。朝食もバイキングで、焼きたてのクロワッサンを持ってきてくれる。「わさび海苔」という料理があって、見た目は緑色の岩海苔だ。ご飯に載せて頂く。うますぎる。調子に乗って食べるとツーンとして涙目に。
そのあとチェックアウトしにフロントに行ったら、「お二人様で○万数千円になります」と。
いやいやいやいや。何かの間違いでしょう。(大体そんな持ってねえし・・・)
「一人7500円くらいのプランだったと思うよ」と堂々と言いましたよ。
結果的に、ホテル側のミスでオーナー平謝りの巻となったわけだが・・・
「つまりあれだ、バイキングの時のドリンクサービスは」
「間違いね」
「俺たち、金持ちだと思われてたんだな」
「間違いね」
「今頃俺たちの車を窓から見下ろしながら『アイツらタダ飲みしていきやがった』って言ってるかも」
「いいのよ、あっちが勝手に間違えたんだから」
「でもいいホテルだった」
「そうね」

後味が良いような悪いようなホテルを出て、安曇野市のHAMAフラワーパークへ。

ここは園芸店と直売所、パン屋さんなどが一箇所に集まった、ちょっとした道の駅みたいな場所。


清潔感のある広い店内。ワイヤープランツで作ったダックスフンドのコンテナがカワイイ。

面白かったのがこのPOP。

数少ない信州で冬越しする花苗って。。。
いやこれが雪国の現実かな。でも安曇野や松本はそんなに雪降らないらしいね。
そういえば一昨年群馬の「フラワーガーデン泉」に行ったらアイビーゼラニウムに「真夏の前橋でも休まず咲きました!」ってPOPがあって笑ったが、地元の人にはそういう売り文句は大事だよね。そこで育てんだから。
このお店、実は苗は大したことないうえに値段も普通だったのだが、お庭がけっこう良かった。

特に何が植わっているという訳じゃないんだけど、薄く雪化粧した信州の山々を遠くに望みながらぶらぶらミニチュア機関車のレールを追って歩くのは悪くなかった。
そんな訳で安曇野を満喫した2日間でした。
機会があったらわさびのお焼きだけでも食べに行ってみて下さい。あとイルミはかなり寒いので厚着して行った方がいいです。

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2014.11.23 | | 行ってみた

安曇野・飯沼飛行士記念館

木・金と長野の安曇野に行ってきた。出張ではなく、純粋な観光として。仕事が絡まない旅は何年ぶりだろう。行き先を安曇野にしたのには特に理由はない。会員登録している旅行情報サイトがプッシュしてきたホテルが、たまたま安曇野だったのだ。
実はそれまで「あづみの」という町の存在を知らなかった。長野はほぼ毎年仕事で行くのだが、飯田、上田、松本、小布施、小諸には行ったことがあるが安曇野はなかった。
奥さんが旅のプランを練った。
初日は「飯沼飛行士記念館」に行くという。何の飛行機かと訊いたら「朝日新聞」という。朝日が持っている飛行機なんか見て何が楽しいんだと思ったが黙ってついて行くと、これが素晴らしかった。

「飯沼飛行士記念館」の飯沼とは、昭和12年、東京-ロンドン間を94時間17分という驚異的なスピードで飛行し、世界記録を樹立した、飯沼正明氏のこと。
安曇野出身の彼の偉業を広く一般に知ってもらうために建てられた記念館だ。

なぜ朝日新聞が関係しているのかというと、彼は朝日新聞社の通信パイロットで、カメラマンを乗せて空中写真の撮影をしたり、フィルムを運んだり、安全な飛行ルートなどを開拓する仕事をしていたのだ。朝日新聞入社後の昭和10年、東京-台北間2510キロを10時間で飛行するなど、次々と新たな飛行ルートを開拓した。
同じ頃、ヨーロッパではロンドンから東京まで何時間でたどり着けるかを競う競争が流行していた。成功賞金60万フラン(約9億円)ということもあり、腕に覚えのあるパイロットたちが次々挑戦したが全員が挫折した。フランスのジャピーは達成目前まで行ったが佐賀県の山に墜落、大怪我を負う。これにより「とても不可能」としてこの競技は取りやめられた。
懸賞金もなくなったが、日本国内では国の威信を賭けて「日本人も挑戦しては」という世論が盛り上がり、三菱重工業が機体を作り、朝日新聞が機体の名称を公募した。
その国家的事業の主役に選ばれたのが、当時25歳の飯沼正明だった。

さて、館内に一歩足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが神風号、そして日の丸、朝日新聞の社旗・・・!この二つの旗が並ぶところなんてそう滅多に見られるものじゃない。

パネルでは神風号の経路や飯沼氏の人となりが分かりやすく展示されている。


↓写真は東久邇宮殿下から「命名書」を受け取る朝日新聞社長。


左が飯沼氏。右は同乗した機関士の塚越氏。(当時の飛行機は操縦士と機関士が乗っていた)機関士は主にメカニックを担当する。

二人は台北、ハノイ、カルカッタ、バグダット、アテネ、ローマなど12の飛行場で給油などしながらロンドンに向かった。二人の挑戦は電報などで各地に伝えられ、「すげえ日本人がいる」と世界中で噂に。
イタリアではムッソリーニと会談し、フランスに着陸するころには淑女にキスされるほどの人気者になっていた。まあ、イケメンだしね。


そしてとうとう前人未到のロンドン着陸!東京からたった4日で来ちゃいました。
この偉業を成し遂げた男たちを一目見ようとクロイドン空港は人でごった返した。もはやビートルズ状態。

町角では絵師が飯沼の似顔絵を売っていて、そこに本人が現れて・・・の図。

彼は偉業達成の心境を訊かれてこう答えた。
「自分が生きてきた25年間より、この94時間のほうが長かった気がします」
ユーモアのセンスもあったようだ。

隣接する飯沼の生家には神風号の模型が置いてある。機体にはしっかり朝日のマークが。朝日のマークが格好よく見える唯一の構造物、「神風号」。

飯沼正明はパールハーバーの3日後、マレー戦線の飛行場で事故に巻き込まれて殉死した。まだ30歳だった。飛行機の英雄・飯沼の死は兵士の士気に関わるとして1ヶ月間秘められ、死因も事故死ではなく「戦死」と発表された。

終戦後、GHQに脅された朝日新聞は、アメリカを礼賛し日本軍と日本人をクソミソに書くことで生き残る道を選んだ。アメリカのご機嫌を伺いながら、ありもしない百人斬りだの南京大虐殺をやったといい、慰安婦を強制連行したと流布し、憲法を改正しようなんて言おうものなら全力で潰しにかかる。
そうやってこの新聞は日本人が自信と誇りを失うように仕向けてきた。
アメリカが一番恐れているのがそれだからだ。日本人の自立。
日本は平和のために金を出し続ける「世界の財布」であればいい。
国連には2億7千万ドル(全運転資金の16%、アメリカに次ぐ2位の額)もの分担金を出し、人の領海でサンゴを密漁し、尖閣諸島略奪を目論む中国に毎年300億円もの政府開発援助(ODA)を拠出する。それで感謝されれば金の出し甲斐もあるが彼らが日本に求めるのは「過去の反省と謝罪」だ。
そもそも当の日本人がその事実を知らない。メディアが「世界」に気兼ねして報道しないからだ。
念仏のように平和憲法死守を唱え、与えられた自由と快楽にうつつを抜かす、単なる経済大国。それ以下でもそれ以上でもない。
これがGHQとマスコミの作り上げた戦後日本の姿だ。見事な成功というほかない。
記録達成目前にして佐賀県の山林に墜落し重傷をおったフランス人飛行士のジャピーは、飯沼が飛び立つ前、成功のための情報提供を惜しまなかったという。
ネットもなく今よりずっと海を越えるのが困難だったはずの戦前のほうが、よりグローバルで、より人種間の相互理解が深かったのだなと、複雑な気分になった。

いま、「神風号」を作った三菱重工業が2017年納入を目指して、純国産の小型ジェット旅客機「MRJ」を作っている。ホンダも小型ジェット機「ホンダジェット」を作って既にアメリカの航空ショーでお披露目した。
日本はアメリカの圧力により国産飛行機の開発を制限されてきた。戦中に開発された戦闘機などの資料はGHQに没収され、終戦後数年間、あらゆる航空機に関する研究、人材育成などが禁止された。
日本人が飛行機を作ると世界最強の飛行機とパイロットが出来てしまうからだ。飯沼正明がその良い例だ。

ネットで「飯沼正明」と検索しても寂しいヒット数である。
彼の名を知る人が少なすぎる。
こんなにドラマティックでハンサムなのに映画化もされていない。2時間ドラマが一本あるくらい。
彼がアメリカ人だったらとっくに映画化されているだろう。スコセッシがL・ディカプリオ主演で「アビエイター」を撮ったように。モデルのハワード・ヒューズはパイロットではなく飛行機に惚れた実業家だったが、あんな、人生後半は精神をわずらい、強迫神経症のため衣服も着れず全裸で過ごすしかなくなったような男でも映画になる。(映画自体は逃げ出したくなるくらい退屈だったが)
アメリカ人は映画から歴史や一般教養を学ぶ。
日本はしつけと学校教育が進んでいるから映画はただの娯楽でしかないが、こと歴史に関しては教科書の太字を覚えるだけのものになっている。映画を作ることで日本人自身が誇りを持てるし、また、世界にもこんな日本人がいたのだと発信できる。

あ、このあとイルミネーションを見たり安曇野の園芸店に行ったりしたんだが、とても書ききれないからまた次回。

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2014.11.22 | | 行ってみた

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プロフィール

yuhei

Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
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