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yuhei

Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。

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売れないアルバムとU2の誤算
興味深いニュース記事を読んだ。今の日本の音楽マーケットに関することだ。
「嵐66万枚、2位は1万1千枚」
その記事によれば今月13~20日のオリコンチャートで1位を記録したのはスリップノットの新作で、一週間後の20~27日のランキングでは嵐のニューアルバムが1位になり、2位が「名探偵コナン」のサントラだった。
興味深いのが、嵐が66万枚売って1位を獲得したのに対し、その前の週に1位を獲ったスリップノットはたったの1万8千枚だったと。(ちなみに今週2位の「コナン」は1万1千枚)
スリップノットというのはアメリカのハードコア・メタルバンド。スプラッター映画よろしくのルックスと心臓を鷲掴みにするような音楽性で、00年代中頃に一世を風靡した。オリコンなどとは無縁だった彼らが「1位になった」と最初に聞いたときは「やるなあ」と感心したが、まさか1万8千枚だったとは思わなかった。
こうなると当然のように、こんな疑問の声が。
「1万8千枚でも1位になれちゃう音楽市場ってどうなの?」
誰だってそう思う。
90年代の「小室ブーム」から00年代半ばのモー娘、オレンジレンジ、浜崎、平井堅などに至る「Jポップバカ売れ時代」を知っている人からすると、ぶっちゃけ嵐の66万枚だって大したものには見えないだろう。洋楽・邦楽総じてアルバムが売れない時代なのだ。だからちょっと売れた、というだけですぐ1位になれてしまう。
これは日本に限らずアメリカでも同じである。アメリカは1991年から1週間ごとに全米で販売されているアルバムの「週間売上枚数」を集計しているのだが、今年9月にはとうとうそれが400万枚を下回り、過去最低を更新した。
2014年上半期の全米アルバムランキングを見ると、100万枚以上の売上を記録したのは「アナと雪の女王」のサントラのみで、2位のビヨンセでさえ70.2万枚である。(今後売上が伸びる可能性もあるが)
100万枚以上レコードが売れることを「ミリオンセラー」というが、この単語も近い将来死語になるかもしれない。実際、アメリカの「ゴールドディスク」は88年までは100万枚以上売ったアーティストにのみ贈られていたが、現在では半分の50万枚でOKということになっている。
こうした背景にはもちろん音楽のデジタル化、ネット環境の充実がある。
アップル社が「アイポッド」を発売し、スティーブ・ジョブズにたらしこまれたU2が広告塔として「アルバムの時代は終わった」と宣言して以来、音楽は「内容」から「容量」で計られるものになった。CDになった時点で音楽は既にデジタル化されていたわけだが、インターネットが普及するまで誰もそれが「何バイト」なのかなんて分からなかったし、分割して何千曲もポケットに持ち歩くなんて発想もなかった。
リスナーが「音楽=データ」と自然に認識し、ジャケットも解説も歌詞カードもない、丸裸の音楽に「満足」出来るようになったとき、初めて音楽は本当に「デジタル化」したといえる。
そしてそういう時代を「是」とし、先手を打ったのがジョブズでありアップル社だった。
そのアップルがまたU2を担いで音楽シーンに風穴を開けようとした。
音楽の無料化である。
先月、U2はニューアルバム「ソングス・オブ・イノセンス」を無料配信した。といってもItunesユーザーにのみだが、アルバム丸ごと無料で配信というのは僕が知る限り彼らが初めてだ。
この「大盤振る舞い」には賛否両論(いやどちらかというと非難の方が多いが)が巻き起こった。
「U2は自分勝手」「恥を知れ」・・・オジーオズボーン夫妻
なぜ「自分勝手」かというと、U2のような大御所がアルバムを無料にすると、ますます誰もアルバムを買わなくなり、これから活動しようとする新人の芽を摘むことになるからだ。
「彼らには金が支払われている。でも、他の連中はどうだ?」・・・プリンス
つまり、ボノはあたかもこの「無料配信」を何か革命的な、慈善行為のように見せながら、その実アップル社から多額の契約金を得ている。他のアーティストはそんな姑息で腹黒いことはしてませんよと。
一般ユーザーからも苦情が相次いだ。
僕はItunesを持っていないから分からないが、なんでもダウンロードした覚えがないのに「プレイリスト」に勝手に加えられていて、「欲しくもないのに勝手に送りつけるのはやめろ!」「勝手に使ったメモリー分返せ」という苦情がアップルに殺到したという。
結果、U2は謝罪に追い込まれた。
ボノは公式facebook内の動画でこう釈明した。
「おっと……それはごめんなさい。美しいアイデアを思いついて、調子に乗っていた。アーティストはそういう傾向がある。ちょっとした誇大妄想や、ほんの少しの気前のよさ、少しの自己宣伝、そして、数年間、人生を注ぎ込んだ音楽が聞いてもらえないかもしれないという大きな不安が。たくさんの雑音があり、我々はそれを乗り越えるために、自分自身も雑音になってしまったようだ」

タダより怖いものはない。
中には「U2って誰だよ?何だよ?」「ウゼーだけ」という若者も多数いるらしく、さすがのボノも今回ばかりは少しヘコんだようだ。
「売れないなら無料でいいじゃん」とボノが思っていたかどうかは不明だが、こういう試みに走った背景には、間違いなく上述したようなアルバムの売れ行き不振があると思う。
しかしこの一連の騒動に希望があるとしたら、それは「U2って何だよ?」と言えちゃう若者がいるということだろう。
古き良きアルバムの時代を終わらせた当の彼らが、デジタル音楽空間で育った子供たちにウザがられる。
こういうキッズが、案外新しい概念で音楽シーンを牽引したりする。

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音楽 | 22:49:14
さざんか、ヒメツルソバ、シーマニア他
さざんかさざんか咲いた道♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き♪

好きな歌だがそのうちこの唄も歌われなくなるだろう。
現代社会では野焼きは違法行為である。前の家の大家がそれで捕まった。近所の寂しがり屋さんが区役所に電話したのだろう、役人がすっ飛んできて罰金を取られたとか。馬鹿な話だ。日本中で毎日焚き火をしたってどこかの大陸の大気汚染の千分の一も地球にダメージを与えられないだろうに。
そんな世知辛い話はやめやめ。
通路ではヒメツルソバがぽつぽつ咲き始めた。かわいい。

同じく通路。このあいだ買ってきたシーマニアを植えた。

シーマニアは秋から初春に掛けて咲く球根植物。
球根だとも知らずになんとなく気に入ったからなんとなくこの場所に植えたのだが、調べたら「耐寒性はないので冬は室内に。15度以上保てば成長します」と。。
またやってしまった。
調べてから植えろっつうの。でもどっちにしても無理だよね。だって室内で24時間15度以上保てる場所ってどこよ??暖房付けっぱなしにしろってことか?
とりあえず霜が降りるまで楽しみます。

そのまま通路を下るとブロック塀に掛けた寄せ植えがある。初夏に作ったのでもはや寄せ植えに見えない。

ブルーサルビアとジニアとフランネルフラワーかな。また苗を買ってきて作り直さないとイイ加減恥ずかしいわ。ここはパンジーが似合いそうだな。冬の苗でバッチリ決めようか。

所変わって菜園。。
小松菜がだいぶ大きくなった。その代わり↓のホウレンソウはこのとおり。

え?どれか分かんないって? うん・・・じゃあいいです。(失敗てことで)

春菊はまあまあイイ調子なんだけどな。それでも小さいけど。

小さくても味噌汁とかに入れえれば食べられるからOK。
こっちは大根。葉だけ妙に立派。中は知らない。

今日は北海道で雪が降ったそうだ。雪かきしている映像を見た。
そしたら新しいスタッドレスタイヤが届いた。
軽自動車から普通車に買い換えたので、スノータイヤも新調した。アルミホイールのなかなかクールなタイヤで、今から履き替えるのが楽しみである。
それで思い出したが「ミニ四駆」が再ブームなんだと「週刊新潮」が伝えていた。老若男女入り乱れて日本最速を目指すグランプリの様子が映っていた。僕も子供の頃は夢中になったがこのとおり自分の妻に大工仕事をさせているくらいだから「欠陥四駆の祐平」と呼ばれたとか呼ばれないとか。
奥さんはノーマルから冬タイヤへの交換を「自分でやる」と言っている。いや、正確には「自分でやるけど何か?」。
この人にミニ四駆やらせたいわ。

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ガーデニング | 21:00:00
さようなら、ギャングたち
誰かを信用するには、その人の感性・価値観が信ずるに足ると思えなければならない。この人はケチなまがい物と本物とを見分ける力がある、欺瞞を見抜く眼を持っている、少なくとも自分にそう信じさせる言葉(技術)を有していると、思えなくてはダメだ。
そういう意味で、村上春樹と高橋源一郎は10代の頃の僕の「お手本」だった。村上春樹を読んで「クールとは何か」を考え、高橋源一郎には文学、哲学、アート、映画、マンガ、果てはドラクエまでを内包した、「知ること」の楽しさ、知りながら生きることの豊かさを見た。
彼らは悠々自適でいながら、地に足の着いた「格好いい大人」に見えた。
それが今はただの馬鹿者にしか見えない。
村上春樹は12年9月、尖閣問題について朝日新聞にコラムを寄せた。それまでにも彼は政治的な発言で物議を醸し、着実に僕の中で「死につつあった」訳だが、このコラムで完全に彼は僕の中で死んだ。
彼は「国境がある以上領土問題は避けて通れない」としながら、尖閣は日本固有の領土で、中国がけしからんとする専門家や、それに賛同する人たちに対して、
「それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。しかし、賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」
と書いた。
要するに尖閣諸島問題をきっかけに日本が右傾化していくのを危惧する、ということなのだが、一方で、反日政策の一環で、日本人作家の著作が中国の書店から撤去されていることについては、

「僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう」
と、尖閣とは何の関係もない、ただ日本人が書いたというだけの理由で書物を撤去する中共の暴挙には理解を示し、こともあろうに日本側に自制を求めたのだ。
あの海上自衛隊の映像が世に出たあとのコラムとは思えない能天気ぶりである。
人民を安酒で酔わせるために日本を悪者に仕立てているのはどこの国か、それも分からないのか。
日本ほど冷静で民主的で温和な国はないと思うが、村上の中では日本人の書いた本を撤去する中国より、大使館をぶっ壊されても中国にODAを払い続けている日本のほうが「何をするか分からない怖い国」に映るらしい。
イデオロギー以前に、論理的におかしいじゃないか。比喩も月並みだし。
完全に終わった、と思った。

高橋源一郎にいたっては、もう病気としかいいようがない。
以下は同氏による9月25日付朝日新聞のコラム。「『愛国』の『作法』について」


「学校で「新聞」を作るプロジェクトに参加している小学生の息子が、おれの机の上に積まれていた新聞と雑誌を見つけ、「これ、なに? 読んでいい?」と訊(き)いてきた。おれは、少し考えて、「止(や)めときな」といった。

「なんで?」
「下品で卑しいものが混じってるから。そのうち、きみはそういうものにたくさん出会うことになるだろうが、いまは、もっと気品があって美しいものを読んでいてもらいたいんだよ。パパとしては」
「わかった」。そういって、息子は書斎を出ていった。おれは、なんだかちょっと悲しく、憂鬱(ゆううつ)だった。
朝日新聞は、二つの大きな「誤報」を作り出した〈1〉〈2〉。「誤報」に関しては、擁護のしようもない。その後の対応も、どうかしている。だから、批判は甘んじて受けるべきだ、とおれは考えていた。机の上にあったのは、その「誤報」を批判するものだった。
その中には、有益なものも、深く考えさせられるものもある。だが、ひどいものも多い。ひどすぎる。ほんとに。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐。そして、「反日」や「売国」といったことばが頻出する。」

そして最後にこうしめる。

「人は間違える(おれもしょっちゅう間違える)。組織や社会も間違える。国もまた間違える。それがすべての出発点であるように、おれは思う。それがどのような「正義」であれ、「おれは間違っていない」というやつは疑った方がいい。「愛国者」であると自称する連中は「国の正しさ」に敏感だ(だから、「正しくない」といわれると攻撃する)。だが、正しくなければ愛せないのだろうか」
「自称「愛国者」たちは、「愛国」がわかっていないのではない。「愛」が何なのかわかっていないのだ、とおれは思う。こんなこといってると、おれも、間違いなく「反日」と認定されちまうな。いやになっちゃうぜ。」


彼は自分の息子が朝日を批判している記事を読むのをとめる。理由は「下品で卑しいもの」だから。「反日」や「売国」といった言葉が頻出するからだと。
しかし「下品で卑しい」というのは、
・自分で傷つけたサンゴを写真に撮ったり、
・明らかに毒ガスとは違うものを「これが毒ガスだ」とスクープし、間違いを指摘した産経新聞に乗り込んできて怒鳴り散らしたり、
・NHKの番組に安倍と中川が口出しして内容を無理やり変えさせたと騒いでそれがあとで全くの嘘だとバレても謝罪も訂正もしなかったり、
・日本の母親は受験生の息子をオーラルセックスで慰める、日本の女子高生は刺激を得るためにノーブラ・ノーパンで街を歩くと英語版だけで掲載したり(毎日デイリーニュース)
こういう報道を平気でやってのけられる連中のことを言うんじゃないのか。
もし産経やその他週刊誌でも同レベルの「下品で卑しい」記事なりエピソードがあるなら高橋源一郎先生にはぜひご教授願いたい。
それに、僕は朝日を批判している週刊誌の中身は大体知っているが、罵詈雑言と呼べるほどのものは見たことがない。一体どこの誰がどのメディアで書いたものを読んで憂鬱になったのか名前を挙げて欲しい。まさか2ちゃんとかヤフコメとか言わないよね?
最後の
「人は間違える」云々も、悲しくなるほど程度が低い。
高橋自身が、慰安婦捏造問題を単なる誤植とかミスプリくらいの意識でしか見ていないことがよく分かる。さすがかつて「報道ステーション」で尖閣問題について訊かれ「どーでもいい」と答えた人なだけはある。もしくは分かっていながら意図的に矮小化しようとしているか。
いずれにせよ、物を見る眼がなくなったのは確かなようだ。AとBを比べる力もない。嫌悪感と憂鬱が先走って自分の言っていることがメチャクチャになっていることも気付かない。
哀れである。
大江健三郎でも吉本隆明でも、あれだけの知性を持っていてもこと政治問題になるとその辺の主婦以下の思考に陥る。それが僕には理解できない。新興宗教に入信しちまった、と考えるほかないのか。僕が知っている中で、小説と同じように政治的発言でも唸らされたのは安倍公房と三島由紀夫くらいだ。

「人間は信じたいものを信じる」とはユリウス・カエサルの言だが、こうやって見ると、どれだけ頭が良くても、どれだけ証拠が出ようと、どうしても朝日新聞を信じたい人というのがいるのだ、ということを改めて思い知らされる。
高橋は言う。
「愛国者」であると自称する連中は「国の正しさ」に敏感だ(だから、「正しくない」といわれると攻撃する)。だが、正しくなければ愛せないのだろうか。

国の正しさに敏感で何が悪いのか?
それにそもそも「正しくない」と言われたから怒ってるんじゃない。証拠もなく結論ありきで原発作業員を悪者にしてセウォル号よろしく記事を書いたり、平気で嘘を書くから皆怒っているのである。「正しくない」と言うからには裏づけをちゃんとしろよと、それだけの話だ。
もし「それ、実は正しくありませんよ」と、新たな証拠による新事実を突きつけられてもなお一部の国民が「認めない!」と言い張るなら話は別だが、残念ながら頬っかむりを決め込むのはいつも左翼のほうである。
村上春樹や高橋源一郎は「信じたいものしか信じない」感情だけで動く哀れな戦後左翼に過ぎないかもしれないが、
最近の人は「事実」の集積によって「日本頑張れ」「どうして日本ばっかりが・・・」という気持ちになっている。少なくとも裏づけのない「与太話」を30年以上信じ続けるほど日本に恨みもなければお人よしでもない。
僕たちは正しさを求める。正しい日本を見たいと願う。国際社会に公正さを求めるし、自分たちも公正でありたいと思っている。
しかし国際社会は黒い。ドス黒い。国連なんか犬のエサにもなりそうにない。日本の主張する「正しさ」なんて中国のクシャミの前にあっという間に掻き消えてしまう。だからせめて日本にいる子供たちくらいには「正しい歴史」を教えようと思うし、新聞には自国を貶めるような記事は書いて欲しくないと思う。

左翼はこのような動きに警鐘を鳴らす。やれナショナリズムだ、やれ歴史修正主義だと。
しかし紙面を割いて合理的な反論をしようとはしない。本当に南京大虐殺があったというなら、バターン死の行軍が本当に「死の行軍」だったというなら、新たな証拠なり事実を提示し、ぐうの根も出ないほどの論理で懐疑派を論破すればいい。
しかし出来ない。出来ないから嘘で固めようとする。テレビを使って誤った「正義」をゴリ押す。
歴史修正主義はどっちだ。

「クールな生き方」「知ることの楽しさ」を教えてくれた2人の作家は今、反面教師として僕の中の墓に眠る。
さようなら、ギャングたち。


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政治 | 18:57:18
柿の剪定
今日はトウモロコシの跡地に、種から育てていたタマネギの苗を定植した。
全部で30株くらい。ひょろひょろで何となく頼りない感じだが、期待している。

それから柿の収穫を兼ねた剪定。
柿の木のすぐ裏に、隣家の屋根がある。屋根だから当然樋がある。冬になって葉が落ちると、樋に葉が溜まるだろう。雨水が詰まって溢れるかもしれない。迷惑千万な話だ。
そういう迷惑を掛けないために隣家に向かって伸びている枝を切っておこうと。
それに、また実がたくさん成ってきたのだ。
今度の実は前回収穫したものより色も赤く、そしてデカイ。
メンテナンスと収穫。一石二鳥。
この家に越してから木登りをする習慣が付いてしまった。。。最初に上ったときは十数年ぶりの木登りにドキドキしたが、今では慣れた。


剪定して玄関前の日当たりが良くなった。西日がよく当たる。

収穫した柿のほんの一部。

数えていないが全部で100個以上は確実にある。夏の間にあんなに実を落とし、しかもこのあいだ収穫したばかりだというのに、まだ実るか。。(呆)
困った。
さすがにもう実家には送れまい。この前送った分をまだ食べ切ってない可能性もあるし、それ以前に気に入られなかった可能性もある。柿ばっかり送ってこられても困るだろう。もう一度近所を周って配るのも奇妙だし。。。(要らないものを押し付けてるみたいで)
スーパーでうちの柿より小さくて汚い柿が一個98円で売っているのを見ると優越感を感じなくもないが、実際問題どうしたもんかと悩んでしまう。
冬~春は大量の落ち葉、夏は落果の爆撃、秋になって熟れたら熟れたで地面で爆発&豊作過ぎ。
最後まで人を悩ませる柿。

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家庭菜園 | 20:24:38
ポインセチアとアザレアを飾る
朝、灯油のルート販売の音楽が聞こえた。寂れた遊園地の乗り物みたいな切ない音楽を流しながらトラックで周っているのだ。確かに寒い。ポリタンクを持って出て行くほどではないが、昼過ぎにたまらずエアコンの暖房を入れた。人一倍寒がりの僕には厳しい季節がやってきた。
夕方、事務用品を買いにホームセンターに行ったら、もうクリスマスツリーが売られていた。壁面にはライトアップ用のLEDが瞬き、大きな赤い靴下を照らしていた。少し離れた所にはハロウィーンのコーナーもあり、何がなんだか分からない。「慌てん坊」はサンタではなくて日本人の方かもしれない。
とか言いながら自分の家の玄関にはポインセチアを飾っている。。。

ポインセチアといえばもっと凛としているものだが、このポインセチアは葉が丸い。そういう品種なのだ。全体的にクシャっとしていて、「ぶさカワイイ」というのか、ブルドッグ的なキュートさがある。

アザレアも鉢植えにして、玄関に飾った。

どことなく和の趣がにじみ出ているのはツツジの仲間だからか。

これはノジギク。先日、多肉やポインセチアと一緒に買ってきた。
半日陰の柿の根元に植えた。

タグには「野地菊」とあったが正しくは「野路菊」らしい。確かに「野地」より「野路」の方が情緒があっていい。「野地」だと「半分雑草。どこでも育つ」みたいな粗野でタフな印象を受けるが、「路」とすると、少女が摘んで帰りそうな、ノスタルジックな可憐さを帯びる。1文字違うだけで印象も随分変わる。漢字の凄いところ。

ハイビスカス。寒くなってもまだ現役。

冬越しは難しいので咲ける間に思い切り咲いて欲しい。
じゃ、寒いので家に戻ります。

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ガーデニング | 19:57:26
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