
最初は目の錯覚かと思ったが、時間がたつにつれて濃くなってきて、今では明らかにピンク色をした花がいくつも出てきた。

そういえば最初の年は結構ピンク強かったっけ。だからアンジェラだと思い込んだのだ。

そもそもこのギスリーヌ、つぼみの頃はオレンジ色で、咲き始めは中心がオレンジ色のクリーミーホワイト、それから日が経つと純白に近くなり・・・と色の変化が激しい花。そこからさらにピンク色になるとは・・・。しかも↑の写真でも分かるよう白いままの花もある。不思議だ。しかしそれゆえ、白と桃色がまばらになって、遠目で見ると二種類の花が溶けあっているように見える。
そろそろ花弁も散り始め、もう見納めかと思っていたのでなんか得した気分だ。
そういえば一昨日、庭で草を抜いていたら、散歩中の人の声が聞こえてきて、どうやらこのギスリーヌの色の変化を同伴者に教えているようだった。知っている人は知っているのだなあと感心させられた。
と同時にこうも思った。
「まさかこれ、『ギスリーヌ・ドゥ・フェリゴンド』じゃないとか?」
コメント欄である日「ギスリーヌはピンクになんかなりませんよ」と言われるのを想像してぞっとした。
じゃあなんなの一体!っ
みたいな。
せっかく言いにくい名前覚えたんだからギスリーヌであって欲しい。
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説明する必要もないような定番の花苗ばかりで恥ずかしいのだが、一応。。
ガザニア、斑入りアイビー、ポーチュラカ、ペチュニア、黄色い小さい花はダールベルグデージー。

こっちはダリアとセンニチコウ。写ってないけどアゲラタムとブルーサルビアも買った。

全部で39株・・・2700円くらい。
植物に関心のある店員が一人もいないので水切れしまくっていても放置しているディスカウントストアにて。玄人が見たら「花が可哀そう」と涙ぐむような店である。そのくせ品揃えはまあまあ良く、状態が悪いだけで苗自体に問題はないのでよく利用する。(もっとも、かなり選りすぐってはいるが)
さっそくこれらを使って初夏の寄せ植えを作った。

ダリアはうちではよくうどんこ病になるので、予めカリグリーンをかけておいた。
夏は蒸れやすいので、株間を少し多く取った。
こういう寄せ植え作るの、久しぶりな気がする。。。
ところで、先日、若芽を出し始めたハイビスカス。さすが南国の花、湿度と気温の上昇とともに(?)かなりの勢いでかつての姿を取り戻しつつある。

といっても、花が咲くかどうかは不明。風の噂では二年連続で花を咲かせるのは難しいとか。でもせっかく冬越ししたんだから咲かせてあげたい。去年のような巨大輪でなくてもいいから。
まあ、とにかく暖かく見守ってやります。
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まずはトウモロコシ。

こっちがオクラ。

一週間かからずに発芽した。早い。
今年はつるバラといいナデシコといい、全体的に花の咲きがいいので、心なしか野菜苗もよい苗が出来そうな気がする。
ガザニアも咲いた。

これらは去年の冬に玄関周りの寄せ植えを片付けた際に避難させた苗なのだが、見事冬越しして花を咲かせてくれた

久しぶりに見るとやっぱいい花だな、ガザニアって。・・夏!!って感じがする。
しかしそんな嬉しいことばかりではないのが園芸の辛い所である。
畑に目をやると、先週植えたキュウリの葉っぱに、うどんこ病の兆候が。。。

兆候というか、ハッキリうどんこ病。うどんこ病なんだよコンチクショウ!

覚悟はしていたし、予想もしていた。接木苗は連作にも強い、うどんこ病になりにくいと言われるが、それは普通の畑に植えた場合の話。うちでは100%うどんこ病になる。
だからこういうものを常備してある。

カリグリーン。
去年、このブログでうどんこ病に悩まされている旨を書いたら、親切な方が教えてくれた薬剤。(⇒詳しくはコチラ)
使ってみたら、たちどころにうどんこ病の進行が減退し、文字通り粉をふいた様になっていた葉っぱが生き返った。それ以来手放せない。野菜だけでなく花苗にも使っている。
幼苗のうちからコレじゃ先が思いやられるが、苗を買い替えたところで同じことなので、カリグリーンの力を借りて育てるしかない。
うどんこ病は家庭菜園の宿命なのだ。
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忙しくてなかなかブログを更新できない。適当な写真を撮ってお手軽な記事にしてお茶を濁すしかねえとか思って庭に出るも、これといって真新しい発見もなく、静かにカメラのフタを閉じる。
写真がなきゃブログって更新できない訳?
と妻に毒づかれていわく、「楽なんだよ、圧倒的に!写真にヒトコトなんか書いときゃそれでカタチになるんだから」
ふーん。
文章を書くのに時間がかかるんじゃないかまったく。わかってないなー。ブログというのは写真8、文章2で成り立っているのだ。というかその程度が読み手にも書き手にも丁度いいのだ。それがブログというツールの本質であり宿命なのだ。
文章と言えばいま三島由起夫の「春の雪」を読んでいる。スティーヴン・キングの短編集を読み終わり本棚に行ったら目に留まったのがそれだった。何年も前から「豊饒の海」四部作を買ったまま放置していたのだ。
僕は最近義父と実父に死なれてからとても強く死を意識するようになっている。特に自分の父は59歳という若さで逝ってしまったので、自分もいつ死んでも不思議じゃないと思うようになった。長生きはしないような気がするのだ。こんなに死を身近に感じたことはない。そしてこれは多分相当長い期間僕の中の一面を支配するような気がする。
新潮文庫の背表紙を眺めながら、こう思った。「生きている間に読んでおくか」と。
三島の四部作は文学に親しむ人間なら一度は読んでおかなければならない作品であるはずで、5流大学の文学部などを出ている僕のような人間ならなおさら読んでおかなければならない作品である。
三島と言ってすぐに頭に浮かぶのは自衛隊市ヶ谷基地で吠えているあのピエロ姿ではなくて、僕の場合は村上春樹の多分「ダンスダンスダンス」の中の一場面である。主人公が警察の取り調べを受ける場面。その警官の一人を見て主人公が連想するのが、自分が学生時代に軽蔑していた文学通ぶった連中である。そういう連中に限って「やはり三島だよ」と言ったりする。と書く。
ボネガットやらカポーティやらフィッツジェラルドに耽溺していた主人公(=村上)からすると、知ったかぶって「やはり三島だよ」などと抜かしている文学青年はアホにしか見えなかったのだろう、、という想像を読者に起こさせ、同時に村上と日本文壇との距離感を示す楽しい場面である。
そして主人公はその「やはり三島だよ」とか言ってたに違いない警官(完全な決め付けなのだが)に、「文学」というあだ名を付ける。これが村上春樹の日本文学のイメージであり、自分はそうじゃない、そんなフィールドに俺はいない、行かないという意思表示である。
昔の村上春樹はよかった。今じゃ僕が「やはり村上だよ」とか言っている奴を見るとアホかと思う。
アウトローかと思ったら、目の前にパンをぶら下げたら飛び付く、ただの権威主義者だったんだもの。
なんという取りとめのない文章。
だから写真がなきゃ駄目と言ったのだ。
明日は横浜に出張・・・。緩慢な午後の京浜東北線でゆっくり読書に浸ろう。
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畑に堆肥を入れた。


「土に混ぜてください」と袋にも書いてあるのだが、肥料焼けを恐れる僕はわざわざ土を掘ってそこに堆肥を入れ、埋めて、また掘って堆肥を入れて・・・という非合理的な方法をとっているので、やたらと時間がかかった。(そして疲れた)
テラスの木陰で休憩。。鉢植えにしたゼラニウムが燃えるよう。。

テラスの椅子に座るとこんな感じで花壇が見える。面白いほど咲いてくれるカンパニュラ。

つるバラのギスリーヌ・ドゥ・フェリゴンドが完全体になりました。

我ながら唖然とするくらい咲いている。通りがかった隣の奥さまに「うちの二階から見るとブーケみたいよ」と言われた。なるほど、上からのアングルでは見たことがない。我が家は平屋建てなのだ。しかしそういう風に楽しんでもらえるのはガーデナー冥利に尽きる。


ギスリーヌ。。店の誤表示からアンジェラとして植えられ、アンジェラとして育てられ、アンジェラじゃないと分かって愛情が半減した子。その覚えにくい、長ったらしいだけで全く美しくない名前から腹立ちさえ覚えたが、こうして見るとアンジェラよりウチに合っていたかなと思う。

枯れる前に一度、バラ風呂にでも入ろうかな。
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