
実は今年の「光のペイジェント」、開催出来ないんじゃないかと噂されていた。なぜかというと、ライトアップに使う電球を保管していた倉庫が津波に呑まれちまったからだそうだ。ただでさえ電気代が市の財政を圧迫してるとかで存続が危ぶまれていたのに、そこへきてあの地震、そして40万個の新しい電球を用意して開催・・・そんなこと出来るのか??と思われていた。
しかし開催は決定された。「こういう時だからこそ、希望の光を灯そうじゃないか」ということなんだろう。そして何より、鎮魂の意味を込めて。
あれからもう9か月経とうとしている。今でも地元のガソリンスタンドの横を通る時、あの悪夢のような「ガソリン行列」を思い出す。寝室にはまだ避難グッズを詰めこんだナップサックが置いてある。キッチンにも、水を入れたペットボトルが置いてある。
何事もなく年を越せますように。
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使用した苗
ガーデンシクラメン
パンジー
リシマキア(ミッドナイトサン)
黒竜
葉牡丹
アイビー
ハードロック(ガンズ)、ポップス(プリンス)のリースを作ったから、今度は「ゴス風」の寄せ植えを作ろう!と思い、そのつもりで葉の黒い苗を選んで買ってきたのだが、いざ植えてみると、普通のカワイイ寄せ植えになってしまった・・・。ガーシクが明るすぎるのかな。


挿し込み式というのか突き出し式というのか知らないが、僕はこの手の半月型のハンギングを作るとき、下からも苗を出すようにしている。使う苗の数は多くなるが、その分ゴージャスに見えるし、色々な角度で色々な花の「表情」を楽しむことが出来るから。
この「挿し込み式」、最初見たときは「一体どうやってるんだろう?」と不思議に思ったものだが、その後、雑誌でやり方を知った時、「不思議」から「不可能的!(ありえねえ)」へとエスカレートした。
しかしいざやってみると、それほど難しくはないどころか意外と楽しいことがわかり、それからというもの、このやり方で通している。
挿し込み式ハンギングの作り方
![]() | ①半月型のハンギングバスケットとココナッツマットをを用意。すべて百円ショップで揃います。 |
![]() | ②苗を出したい個所にハサミで十字の切り込みを入れる。 |
![]() | ③画像は左右対称に四ヵ所あけた図。穴が空いているが、苗を挿す前にここに浅く底土を入れておく。 |
![]() | ④ビニールポットの底をハサミで切り、こんな状態にする。 |
![]() | ⑤太いと入れにくいので、出来るだけ土を落とし、根をほぐし、スリムにする。 |
![]() | ⑥巻き寿司を作る要領で、苗を巻き巻きしちゃいましょう。これは根を傷めないため。このとき、点線のように尻すぼみにすること。そうしないと穴に入れるときに突っかかって大変なことになる。 |
![]() | ⑦ちょっと苗がかわいそうだが、ここは心を鬼にしてグイグイ入れる。出来れば一発で決める。あまりやり直しを繰り返すと苗が痛むので注意。 |
![]() | ⑧根元まで挿したら、ビニールを取る。 |
![]() | ⑨土を入れる。 |
![]() | ⑩ここからは、こういうものがあると作業しやすい。百円ショップで買った鉢を載せる台。 |
![]() | ⑪下から苗が出ているので、地面に置くと重みで苗を痛めそう・・・でもこれに乗せれば、苗が痛むのを気にせず上部の植栽に専念できる。 |
![]() | ⑪上部の苗を植栽。 |
![]() | ⑫下から漏れるまでたっぷり水をやって完成。三日ほど日陰か半日陰で休ませてからデビューさせよう。 |
挿しこんだ苗は、最初はダラーンとなっているが、根っこが生きていれば1~2週間でこんな感じに上向く。早まって悲しみにくれず、気長に待とう。

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記者からの質問がなくなるまで会見を続ける―。
橋下徹大阪新市長がそう宣言したので、選挙後の記者会見は途中休憩を挟んで日付が変わる頃にようやく終了するという、異例のロング記者会見になった。ダブル選挙圧勝という快挙を成し遂げながらなお、自分の若さと、器量の大きさをアピールするのを忘れないその政治センスはなかなかのものである。
こういった彼の行動を「ポピュリズム」という人がいるが、それは違う。彼はポピュリストではなく、人心掌握術に長けたリアリストである。
単なるポピュリストなら、「都構想」などという抽象的で時間のかかりそうな公約は掲げない。「ポピュリズム」を単に「大衆迎合主義」と解すなら、どこかの市長のように「市民税を下げる」とか、また、どこかの政党のように「子供手当を支給する」などと言った方がずっと分かりやすいし、支持率アップにつながるはずである。
しかし橋下氏の口からそのような甘言が聞こえてきたことはない。それより「人員削減」とか、「公務員給与削減」とか、「国家斉唱もしない教師はクビだ」とか、人に何かを与えるより、何かを課すような発言が目立つ。
同じ意味で、「郵政民営化」を唱えた小泉元首相もポピュリストではない。彼もまた、単に人心掌握術に長けたリアリストにすぎない。テレビを活用し、ぶら下がり取材を慣例にして常に国民の目に自分の顔が見えるようにしたのは、大衆に迎合するため、というよりは、そうしたほうが政権運営がスムーズにいくと判断したからである。そして昨夜の、まるでブルース・スプリングステーンのライブのような橋下氏の三時間に及ぶ記者会見も、大衆に愛されたくてそうしたわけではなく、そうした方がベターだと彼が判断したからだろう。
仮に大衆迎合を目的として行ったのだとしても、僕の「リアリスト」という橋下氏への評価は変わらない。なぜなら、彼はそれを「大衆迎合のためにやっているのではありません」とこちらに信じさせるに足るポーズをとることも忘れていなかったからである。そこには記者への媚びやへつらい、迎合はなく、潰れた喉で「これはゴールではなく、スタートです」と意気込んで見せる若きリーダーの顔は真剣そのもので、見ていると頼もしく思えてくるほどだった。同じことを他の政治家がやっても、腹の底が透けて見え、寒イボが立つことだろう。
ただ演技をするのではなく、なぜ演技するのか、するとどうなるか、どんな効果を見ている者に与えるか・・・まで計算して動くリアリストだからこそできる芸当である。
少々自信過剰で危なっかしいところはあるが、「演技のできるリアリスト」は今の日本では貴重だ。橋下氏にはいつか国政に参加してもらいたい。個人的な願望を言えば、外務大臣がいいな。彼なら「尖閣をさしあげてもいい」などとは口が裂けても言わないだろうから。
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ちょうどうちの多肉植物は徒長してみっともなくなってきたので、これらの頭を切りとり、この実験をしてみようということになった。
数が多いので、瓶では間に合わず、百円ショップで買ったらしき折りたたみ式の整理棚に立てた。垂直方向に立てておかないと、形が曲がってしまうらしい。
ちなみに発根するまで絶対に水をやってはいけない。
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約二週間後・・・。

でたー!
寒いし、このまま枯れてしまうんじゃ・・・と気を揉んでいたので異様に感動した。しかしまだ発根していないものも多く、特に火祭り(赤いの)は出る気配すらない。もう少し様子見。
そしてさらに二週間後。(今日)

見まがうことなき発根。火祭も発根した。

こりゃさすがに植えかえてやらんと不味いよね。
てことで今日、ようやく鉢に植えかえてやった。サイズは2.5号。かなり小さい鉢だ。ただ植えかえるだけじゃつまらないので、色も塗った。


うまく根づいてくれますように。

巷ではクリスマスムードが濃くなってきて、どこへ行っても何らかのクリスマスソングが流れている。
ポップス系のクリスマスソングで僕が一番好きなのは、バンドエイドの「Do they know it‘s christmas」である。「飢えてるアフリカ人にハンバーガー食べさせて俺たちの植民地にしようぜ」という主旨の歌だが、その欺瞞に満ちたキリスト教至上主義的な歌詞さえ気にしなければ、曲としてはいい曲である。
そもそも、日本におけるクリスマスというのは、こういった押し付けがましいキリスト教至上主義の偽善性を無視し、単なる「行事」と割り切ることで成り立っているのであるから、いちいち腹を立てるのもヤボである。
といって、腹を立てない、ということとキリストの存在を認めるということは別問題である。僕は彼が生まれなければ世界はもっと平和で豊かで、文化遺産ももっと多く残っていただろうと思うので、クリスマスは祝わない。僕たち有色人種からしたらむしろ呪うべき日だろう。リースを作ったりケーキを食べたり、ローズマリーでツリーを作ったりするのは、単に家庭生活の中のささやかな「楽しみ」「行事」「イベント」としてやっているのである。それが<日本のクリスマス>であり、僕はそういう日本の合理主義は嫌いではない。
日本人でクリスマスが嫌いな人は、キリストがどうとかいうのでなく、恐らくあの浮ついた「空気」に我慢が出来ないのだと思う。特に日本産の「クリスマスソング」が大量生産された90年代前半以降、誰もが安っぽいトレンディドラマみたいな世界に憧れて「クリスマス用」の恋人を持ち、あたかも「聖夜=セックスする日」ででもあるかのように馬鹿騒ぎを繰り広げたので、その頃の記憶がある人ほどクリスマスに対する嫌悪感は強いだろう。(僕は小学生だったがそれでもかなりの違和感を感じていた)
もっとも、以前から日本のこのムードとしての「クリスマス」に違和感を感じる人はいた。作家の安岡章太郎がそうで、彼が昭和40年に発表した短編「ジングルベル」は、そんな日本の異様なクリスマスを若者の目を通して浮き彫りにしている。
多摩川園の駅前まで来て、僕は自分の肢が、機械のように動いているのに気が付いた。ラジオが「ジングルベル」をやっている。それに足をあわせていた。今日はクリスマスなのである。
歩調を合わせまいとしてもダメだ。足首をヒモでしばられて、それをひっぱられているみたいなのだ。・・・・「へいっち、にッ」と僕は高崎歩兵連隊初年兵の軍曹の掛け声を思い出した。リズムの切れめ切れめに、掛け声がかかる。
― ジングル(へいっち)ベール(にッ)、ジングル(へいっち)ベール(にッ)
僕はそのようにして、足元をジングルベルに取られながら、ふらふらと、立ち並んだほこりっぽい食い物店の一軒にはいっていった。そして椅子に腰を下すなり、「ウナドン」と、叫んだ。
「叫んだ」というのがいい。クリスマスの日に食い物店に入っていきなり「ウナドン」と叫びたくなるその気持ち。共感する人は多いだろう。特に現代は「恋愛受難時代」である。昨日、こんなデータが発表された。
18歳~34歳の未婚者の内、「異性の交際相手がいない」と答えた男性が61.4%、女性が49.5%と、いずれも過去最高となったことが、国立社会保障・人口問題研究所の調査で分かった。五年前に行った調査から男性で9.2ポイント、女性で4.8ポイント増加した。(MSNニュース)
何世代か前の人たちのような、享楽的なクリスマスを過ごす若者は今では少数派である。もしかしたら僕たちは「セックス」より、メシ屋行って「ウナドン」と叫びたい世代なのかもしれない。
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