先日種を蒔いた大根が早くも発芽した。昨日のゲリラ豪雨で全部流されても不思議ではなかったのに、よくもまあ発芽してくれたものだ。さっそく2本に間引いてマルチングしてやった。
不織布を掛けると、表面に小さな黒い点がいくつも付いているのに気が付いた。よく見ると、アブラムシの成虫だ。発芽してまだ間もないのに、もうニオイに引かれて寄ってきたらしい。これが内部に侵入するとそこで卵を産まれて、アブラムシ(幼虫)が発生する。一匹や二匹なら問題ないが、大量に発生すると大変だ。株の養分を吸われて成長が鈍くなる。
特にアブラナ科はアブラムシの大好物なので、マルチングは欠かせない。まあ、発生してしまっても、オルトラン(農薬)を施したり、牛乳をかけたり、薄めた木酢液(お酢)をスプレーしたり、指で潰したり、いろいろ対策はあるのだが、一番効果的なのはやはり「発生させないこと」・・・即ち防衛だ。
日本にも民主党というアブラムシが湧いているが、この害虫の特徴は、「解散総選挙」という薬剤でしか駆除できない点にある。「スパイ防止法」という薬剤もあるのだが、これは駆除剤ではなく忌避剤であるから、活動を鈍らせることは出来ても完全に駆除は出来ない。それに入手困難で価格も高いため一般市民には手が出せないというネックがある。「解散総選挙」に至っては4年に一度しか発売されない珍薬である。(たまに4年以内に発売されることもある)
発生を防ぐにはマルチングをしておくべきだったのだが、「この虫を株に寄生させれば株が元気になる!!」というデマが流布されたこともあって、多くの国民はこともあろうに自分から不織布の中にばらまいてしまった。その結果、大量発生したアブラムシが新芽をむさぼり、葉を穴だらけにし、「復興」に絶対必要な光合成さえ出来ない状態にしてしまった。「被災地」という名の下葉は、いまにも枯れ落ちそうになっている。
自分の育てている野菜や花がぐったりしているのを見て喜ぶ人はいない。クサイことを言うようだが、僕たち有権者一人一人は、日本という花を育てるガーデナーなのだ。国に元気がなければ、国民の気分も晴れない。しかもその原因が害虫によるものと分かっていながら何も出来ないのだから落ち込むというより怒りが湧いて尚更不健康である。
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大根の種を蒔いた。
秋まきの場合、大根の成長時期と害虫の活動が鈍くなる時期がシンクロする9月中旬頃に蒔くのがベストらしいのだが、日当たりのことを考えて早めに蒔いた。
うちは一応南向きなのだが、前に家が建っているので、秋が近づくにつれ日当たりが悪くなるのだ。うまく行けば二ヶ月で収穫出来るので、九月いっぱい~十月初旬までしっかり日が当たってくれればなんとかなると思う。(自信ない)
去年も挑戦したのだが、見事に失敗した。引っこ抜いたら、子供の靴下みたいなひょろひょろしたやつが出てきたときは情けなかった。
聞くところによると大根の栽培で大事なのは「水やり」だそうだ。冬場でもほぼ毎日水をやる必要がある。そうとも知らずに、「露地栽培だから大丈夫っしょ」と、追肥だけしてあとは放ったらかしにしていた。
今年こそはこまめな水やりを心がけて、女子高生の足ぐらいの太さにはしたい。

21日日曜日、フジテレビの偏向放送に抗議するデモが行われ、同局が本社を置くお台場に4000人もの国民が集まったそうだ。デモの主たる目的は、いわゆる「韓流ゴリ押し」を止めさせるため。韓国のテレビドラマを他局より多く放送したり、あたかもそこら中で韓国ブームが起きているかのような報道(宣伝)をしたり、ワイドショーでキム・ヨナに勝った浅田真央を不必要に貶めたり・・・このような自国より他国を重んじるような報道姿勢を改めろということのようだ。何も知らずに「お台場合衆国」で遊んでいたカップルや家族連れはさぞ驚いたことだろう。
デモでは「韓流止めろ」だけでなく、「公共の電波を返せ!」というシュプレヒコールも上がっており、主催者の問題意識の正確さが窺われたが、しかし一方で単なる嫌・韓国、忌・在日の人たちも多く、こういった「在特会」、「チャンネル桜」系の動員力だけがクローズアップされ一般人に「単なる右翼の集まり」と受け取られないか不安ではある。
テレビ局に抗議するのに日の丸は必要ない。これは<テレビ>という媒体そのものへの反発であり、限られた電波を牛耳るメディアという「権力」への国民側からのプロテストなのだから、思想は関係ない。韓流ドラマをやめて皇室関連の番組を放送すればそれで済むといった次元の話ではない。イデオロギー・ウォーにしては相手の思うつぼなのだ。そこを分かっていない人が多すぎる。
大体、テレビ局に対して「韓流を止めろ」と求めるのはナンセンスである。というかほとんど馬鹿げていると言っていい。
確かにフジテレビの株主の約20%(実質はそれ以上)が外国人であり、それらの圧力によって「韓流ごり押し」になっているとする指摘は無視できないが、韓流をやめさせたところで外国人株主がフジテレビの株を手放すわけではなく、韓流アイドルが日本での活動を断念するわけではない。そんなことは不可能である。なぜなら、「韓流」というのは文化活動であると同時に大きな経済効果をもたらす経済活動だから、需要があるかぎり供給され続ける。もちろん、フジテレビにはテレビ等を使ってありもしない「ブーム」を作り、無理矢理にでも「需要」を生み出すことが出来るから、そもそもその「需要」自体が嘘っぱちだと言われればそうだ。
しかし、そもそも「ブーム」とはそういうものである。ブームとはひとつの幻想を集団的に消費することであり、その本質は供給側と消費する側があうんの呼吸で演じる自作自演の喜劇に他ならない。幻想であるかぎり、いつかは目が覚める。誰かが叩き起してやらなくとも、ひとりでにブームは去ってゆく。そして後ろを振り返って、笑う。
それを強制的に、出来るだけ長く眠ったままにさせておこうとしたのがフジテレビなのかも知れないが、僕に言わせればフジテレビは単に楽して儲けようとしただけに過ぎない。
いままで「死の時間帯」だった平日の午後に韓流ドラマを放送してみたら、思いのほか数字が取れた。ドラマの使用料も安く、数字が取れればスポンサーも付く。寝てたって収益が上がるんだからこんなオイシイ商売はない。あとはワイドショーなどでテキトーに韓流を盛り上げておけば、この時間帯の数字は安泰。つまりフジには、国を貶めるとか、売国とか、そんな高度な思想的意図はなく、ただ単に彼らは、怠惰なだけの、そして創造性・独創性を失った、食うだけ食って寝るだけのブタ企業になってしまっただけの話なのである。
さらに怠惰なブタらしいのが、彼らは韓国製のドラマで視聴率を得るが、なぜこれらに主婦が飛びつくのかについて、ただの一度も真面目に考えたことがないことである。代わりに僕が答えようか?それは、あんたたちの作るドラマのクオリティの「素晴らしさ」に誰もが飽き飽きしているからだ。
しかし彼らはそんなことには無頓着である。その無神経さだけでも廃局に値すると思うが、デモに参加した人(もしくはこれを支持する人)の多くは、とにかく「ノー・モア韓国!」のようで、そこが僕には気がかりだ。
正直、僕はフジテレビなんぞどうでもいいと思っている。韓流ドラマを流したければ一日中でも流してもらって構わない。日本の寒イボが走るような「お遊戯会ドラマ」や、もはや低俗ですらない、ただ何かを食ったり、宣伝したり、秘密を暴露するだけのバラエティ番組を見せられるより百倍マシだ。
ただその代わり、条件がある。
電波を解放し、テレビ局を増やすことである。外国の企業を誘致して開局してもらうもよし、ホリエモンを出所させて一局作らせるもよし、とにかくデジタル化したことによって空いた電波帯域を使って、今よりチャンネル数を増やしてもらいたい。そのようにして僕たち国民に選ぶ権利を与えてくれさえすれば、何をやったって構わない。芸能人同士でダベってたいのならそうすればいいし、韓流ゴリ押しをしたいのならそうすればいい。好きなだけやればいい。国民はその中から自分に合った面白い番組を探して観るだけである。
そしてそうなった時に初めて、僕たちはこう言えるのだ。
アディオス、キー局。


ミントの白い花とのコントラストがきれいだったので思わずパシャリ。
実はこのコスモス、砕石だらけの場所に種を蒔いても芽が出るのか?という実験で蒔いたもの。具体的には僕の家の塀の外側、道路の横端の未舗装の部分。一応土はあるが、砕石やら砂利やらに埋め尽くされていて、スコップを入れるのも一苦労というような場所。
しかしこんな劣悪な環境でも植物は育つ!
と、園芸家のポール・スミザー氏がある番組で実践していたのを見て、「なにー!?」ってなわけで試してみたのである。→詳しくはコチラ
ま、世の中そんなものかも知れない。
ちなみに、一緒に蒔いたサルビアは消えてました(笑)。
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昨日、ヤフーのトップページのニュース欄に「岡村&たけし「嫌ならテレビ見るな」にネットでは猛反発」という記事(コチラ)が載った。
お笑い芸人の岡村隆史とビートたけしが、高岡蒼甫の韓流批判に対し「いやなら見なきゃいい」と発言したことがネット住民の猛反発を呼んでいる・・・というものだが、僕はこれを読んで机をひっくり返したくなった。
二人の発言に腹が立ったからではない。まあ、少しはムッときたが、芸能人なんてそんなものだと思えば別にどうということもない。以前にこのブログでも書いたように、彼ら芸能人というのはテレビ側の倫理にどっぷり浸かり、またそうすることを「善」として生きてきた人種なので、外側から自分たちの居る世界を見たことがなく、また見る気もない。そんな人たちなのだから、彼らにマトモな反論を求める方が酷というものである。それは豚に向かって箸でメシを食えというのに等しい。恐らく彼らは「ホワイトスペース」という言葉はおろかテレビ局というものが電力会社と同じように電波を独占していることすら知らないだろう。
そんなことより僕が一番腹が立ったのは、この記事の書かれ方だ。まるで二人の発言に対して怒っているのはネット住民だけ、とでも言いたげな書き方ではないか?ニュースソースは「
「ネット住民」って誰ですか??
確かに「2ちゃんねる」もツイッターもネット上のものだ。だから「ネット上で異論が噴出」と書いても別に間違いではない。しかし、言うまでもないことだが、これらネット上で猛反発しているのは生身の人間、僕たち日本国民である。定期的・自動的に騒ぎを起すようプログラミングされた人工頭脳のようなものがネットの中にあるのなら話は別だが、そうではない。それに岡村が発言した「オールナイトニッポン」もたけしの発言が載った「東京スポーツ」もアナログのメディアである。センゴク38や、松本龍の失言の時とは経路が違う。それらを現実の生活の中で聞いたり読んだりした人が腹を立ててツイートをしたり、投稿したり、こうしてブログに書いたりして今回の「猛反発」が生まれたのである。だから、ネット住民が怒っているわけではない。
何を今さらそんな当たり前のことを・・・と思われるかも知れないが、意外と、この当たり前のことを分かっていない人が多い。
僕も最近まではこの「ネット上では」という言葉を普通に受け入れていた。ネット上ではこんなものが流行っている、ネット上ではこういう意見が多い、ネット住民の間で、ネット住民同士の・・・
しかし汚染腐葉土の問題で、ネット世論が現実の世界に影響を与えるまでの流れを追っていて、それらの言葉がいかに人の判断を狂わせるかを思い知った。
汚染腐葉土が市販されていた事実はネットから発信されたものだが、既存マスコミで報道されるまで各ホームセンターは公式のコメントを発表せず、政府は基準値を出さなかった。「所詮ネットの中で騒いでるだけだろ」という、「噂」程度にしか受け取られていなかったからだ。その証拠がケーヨーD2で、D2は汚染腐葉土を取材した「週刊現代」が発売されるやその日のうちにコメントを発表し、ご丁寧に「本日、週刊誌内で、一部のホームセンターにおいて、「汚染腐葉土」が販売されていると認識される報道がございました。」などと自分から白状していた。ネットの中の消費者の声より、週刊誌報道を重く見たわけだ。
しかし僕はそんなD2に対して「認識が甘い!」などと言って攻撃しようとは思わない。なぜなら、それも無理はないと思えるからだ。このR25の記事がそうであるように、何かにつけて「ネット上では」「ネット住民の間では」などと枕詞をつけて報道されれば、それはネットの中だけの話であって、現実の世界には跳ね返ってこないだろうという思考回路になるのは当然だからである。
これらの言葉が人の判断を狂わせる、と言ったのはそう言う意味である。
最近、テレビにまつわる騒動が絶えないが、恐らくテレビ局側の人間は「ネウヨがまた騒いでるよ」くらいにしか思っていないだろう。しかし上に書いたとおり、ネットの中で声を上げているのは機械ではなく、一人一人の国民、この問題で言うなら<視聴者>である。それを「2ちゃんねらー」「ネウヨ」「ネット住民」といった得体の知れない抽象的な呼称で呼ぶことで、あたかも怒っているのは一部のネット住民だけだと読み手に印象づける。
この記事を書いたR25の記者にそのような意図があったかどうか知らないが、肉体を有した「国民」を、「ネット住民」などという、ガスのようなものへすり替えるのはもう止めるべきだ。そんな住民はどこにも存在しないし、そもそも分けられるはずがないのだから。
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