じゃがいも(男爵)の収穫




日曜日、じゃがいもを収穫した。正直、初体験でここまで上手く行くとは思っていなかったので喜ぶ前に驚いてしまった。簡単にできるとは聞いていたけれど、噂は本当だった。タネイモを植えたのは2月の半ば。ホームセンターで安売りされているのを買って来て庭の片隅に四つ植えた。なかなか発芽せず、そうこうしているうちに大震災が起こり、じゃがいものことなど半ば忘れ、半ば諦めていたら、4月8日に発芽しているのを発見。




4月11日。発芽から3日でこの成長ぶり。



5月4日。たった四株でもう地面が見えないくらい茂り・・・段々収拾つかなくなってきた。もっと広い場所に植えるべきだったかなと後悔しかけていたら、



6月に入り虫どもの活動が活発になり、気付いた頃には葉っぱが穴だらけに・・・。よく見ると無数の青虫がそこら中に這っていて、ムシャムシャやっていた。しかも夜見たらナメクジが大量発生しており、もう手に負えない状態。食べるものなので下手に薬剤をまくことも出来ず、結局、色々探して「収穫日前日に撒いてもOK!」という有機成分から作られたナメクジ駆除剤を買って、根元にばらまいた。それなりの効果はあったが、正直、萎えた。



まあ、葉っぱを食べられても根っこが元気なら・・・と自分に言い聞かせて放置すること2週間・・・・。



で、この前の日曜日。ジャガイモは「株が半分ほど枯れてきたら収穫時」ということらしいので、それまで待ってほじくってみると、出来ていた。

  

虫食いにも負けずしっかり土の中で育ってくれていたようだ。思わず「おお、我が子たちよ!」と叫びたくなった。女性ガーデナーがよく自分の家の花々を「うちの子」と呼ぶ気持ちが分かった。



一番大きいもので百円ライターほどの長さがあった。肉じゃがにカレー、ポテトグラタン、バター焼き・・・。頭の中にメニューが浮かびます。
しばらくじゃがいも買わなくていいや。
そして再来週ぐらいには「しばらくじゃがいも食べなくていいわ・・・」ってなってるんだろうな。



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2011.06.29 | | 家庭菜園

音楽のききかた

今日は久しぶりに(というかほとんど初めて)音楽の話。
このあいだ、洋楽情報サイトの
BARKSを斜め読みしていたらこんな記事が目にとまった。見出しは「デフ・レパード もうフルアルバムは作らない?」というもので、ギタリストのヴィヴィアン・キャンベルのコメントが載っていた。曰く、
「2012年、アルバムを出す。フルアルバムになるかどうかわからない。ゴールポストの位置がずれたいま、フルアルバムを出す意義が見いだせない。みんな、フル・アルバムになんか興味ないだろ?」「昔はレコード会社は10~12曲欲しがっていた。いまはみんなフルアルバムなんか聴く時間なんて無い。だから、俺はクオリティの高いものを出したいんだ」

IPODの登場によってもはや音楽は「ばら売り」が当たり前になり、フルアルバムという言葉自体「死語」になりつつあるなか、果たしてアルバムを製作する意義があるのか?という疑問はデフレパならずともアーティストなら誰しも抱いていることだろう。
かつて
U2のボノとエッジが「ばら売り」によってアルバムの存在価値(コンセプトなど)が消えることを懸念し、アップルの戦略に難色を示していたことがあったが、結局スティーヴ・ジョブズが二人を説得することに成功し、これによって一気に他のアーティストたちの「ばら売り」に対する警戒心が溶けた、という経緯がある。それから十年近く経ち、今や「ばら売り」を批判するアーティストは少数派になった。
と言って別に、世の中からフルアルバムが消えたわけでも消えるわけでもないのだが、デジタル革命によってフルアルバムというものが一気に「古臭い物」になってしまったのは事実だ。「フルアルバムになんて誰も興味ないだろ」というヴィヴィアン・キャンベルの言葉にはそんな状況への不満と諦めが感じられる。

しかしもともと僕はアルバムを通して聴くということをあまりしない人間なので、「ばら売り」にはそれほど違和感はない。むしろ大半が「捨て曲」のフルアルバムをつかまされる危険性がなくなったことは、受け手にとっても送り手側にとってもいいことだとさえ思っている。受け手は金をドブに捨てることも少なくなり、送り手側はいやが応にも曲の完成度を高くせざるを得なくなるからだ。

U2は「ばら売り」になることでコンセプト・アルバムが作れなくなることを危惧していたらしいが、リスナーにとっては正直、コンセプトなどあまり重要ではない。いい曲があるかないかが重要なのである。つまり、商品として二千円出す価値があるか。そのコンセプトがたとえ時代を的確に捉えたものだとしても、一曲一曲の完成度が高くなければただの自己満足になってしまう。昔は1、2曲いい曲があればどんな陳腐なコンセプトアルバムでも「ま、いいか」で許されただろうが、今ではそうはいかない。
IPODの登場によって音楽はビュッフェ形式に変わった。つまり、食べたいものだけを皿に盛って行くという形である。ヘヴィメタばかり食べたい人はヘヴィメタばかりを盛ればいいし、それだと油っこすぎるからサラダ代わりに女性アーティストも添えたいと思えばそうすればいい。レコード会社が上から押しつける「メニュー」を黙って食べる時代は終わったのである。
リスナーに選択の自由が与えられ、我々はただの<リスナー>から、よりどん欲で、より商品に対して厳格な<消費者>になった。同時にアーティスト側はどれだけ自分の陳列棚に美味しそうな「メニュー」を揃えられるかが問われるようになった。どんなに綺麗な皿に盛りつけてあっても、<消費者>の厳しい目はもうごまかせない。1、2品しか美味しいものがなければ確実に売れ残るだろう。

 

ハードロック界で、いち早くそんな<消費者>の心をつかんで成功したのが元ガンズ・アンド・ローゼズ、現ヴェルヴェッド・リボルヴァーのスラッシュだ。
彼が去年発表したソロアルバム「SLASH」
は、デジタル時代の音楽ビジネスを象徴したような実験的なアルバムだった。曲ごとに歌手が違うのである。よくゲストミュージシャンが参加してボーカルをとったりするが、このアルバムは全曲がゲストミュージシャンで構成されている、いわゆるオールスター・アルバム。
まず、スラッシュがリフを書き、おおまかな曲の展開などを作る。そして「これはこいつに歌わせたい」と思うアーティストに添付ファイルで音源を送る。受け取った歌手はそのスラッシュの「下書き」に独自にメロディと歌詞を乗せ、スラッシュに送り返す。それを繰り返し、曲に仕上げていく。もちろん、メロディも歌詞も歌い手に任せてしまうのだから、スラッシュが当初想定していたものとは似ても似つかない曲になって送り返されてくることもあったようだ。しかし逆にこれが電子メールという、デジタル的なやりとりであるにもかかわらず、スタジオでジャムるのと同じか、それ以上の効果を生んだようで、その効果が、曲ごとのバリエーションとなって活きている。

<消費者>のほうも、もともと「ばら売り」のものを一つのアルバムにしたようなものだから、サウンドガーデンのファンだがガンズは嫌い、という場合、クリスコーネルの歌う4曲目「プロミス」だけを購入すればいいし、同じくマルーン5のファンならアダム・レヴィーンの歌う6曲目の「ゴッテン」だけを購入すればいい。日本からはBzの稲葉浩志が参加しているので、Bzファンは彼の歌う「サハラ」を買えばいい。「歌えない」という、ギタリストの弱点を逆手に取った、そしてデジタル音楽時代の消費者ニーズを完璧に理解した、非常に合理的なアルバムである。

 

しかしここで危惧されるのが、音楽の芸術的側面の衰退である。音楽業界が<消費者ニーズ>を重視しすぎると、自然、<安直なポップソングの量産>というお決まりの手法に訴えることになる。僕は個人的には80年代の「安直なポップソング」が大好きだが(TOTOとかスターシップとかね!)、2010年代ではその役目はいまのところ、LADY-GAGAが担っている。たとえば、「バッドロマンス」も「ジューダス」も同じメロディ、「ボーン・ディスウェイ」にいたってはマドンナの「エクスプレス・ユアセルフ」の完璧なパクリというような、かつて80年代によくあったパターンをLADY-GAGAに見ることが出来る。いうなれば彼女は80年代にシーンを席巻した、いわゆる「産業ロック/ポップ」の正統的後継者なのである。

話が飛躍したが、とにかくこれからは音楽をどれだけ「商品」と割り切れるかが成功するかしないかの分かれ目になるような気がする。




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2011.06.27 | | 音楽

アサガオ(スプリットペタル)とムスクマロウの種まき

この間、「サカタのタネ ガーデンセンター横浜」に行った記事をアップしたけれど、その時に買ったアサガオとムスクマロウの種のその後について報告していなかったのでしておきます。(興味ある人がどれだけいるか不安だが)

まず、アサガオ(スプリットペタル)から。

1.アサガオのように表面の硬いタネは一晩水に浸けておくと発芽しやすくなる。画像は一晩浸けたあとの様子。水を含んで少し大きくなっている。



2.土の用意
市販の種まきポットに種まき用土を入れる。乾いた土にまくのは案外難しいので(さらさらして土がへこまない)水を張ったプラスティックのトレーの上に種まきポットを置いて、下から水を吸わせる。面倒な場合は上からシャワーをかけてもいい。とにかく土に水を含ませる。

 

↓こんな状態にします。



3.指の先で土の表面をへこませたら、一粒ずつそこへ種を入れてゆく。
へこみの深さは1センチくらい。







4.指で押し込む。(覆土する)これでOK.。



はい、次はムスクマロウ。



もの凄く小さいタネ。こういうタネは指ではまけません。皮膚にくっつくし、どっか飛んでくし、ゴミと区別付かなくなるし。



だからタネの袋などを利用して、トントントンと落としていく。



どばーっと行かないように注意。





均等にまいたら、指で直接触らずに(くっつくので)、紙などを使って押してやる。



そのあと、ふるいを使ってさらさらと覆土。1ミリか2ミリの厚さに土をかけてやればいいんじゃないでしょうか。計ったことないので知らん。




完了!!
上2列がムスクマロウで、下2列がアサガオ。このあと、上から水をかけるとタネが流れたり潜ったりするので、必ず下から吸水させる。
さ~て、うまく発芽するかな。ムスクマロウは発芽率50%って書いてあったので不安。置き場所はよく分からない。うちではいつも庭の縁台の上に置いていて、失敗したためしがないので半日影か日向でいいんじゃないかな。
ただし、水を絶対に切らさないこと。あと雨ざらしにすると雨水でタネが流れ出てしまうので、屋根のあるところに置くこと。

約一週間後・・・・。



出ました出ました。アサガオの葉が異様にキレイだ。
種から育てる喜び。

2011.06.25 | | ガーデニング

反原発派が太陽光と風力を推進する理由

15日、管総理は市民団体等が主催する「エネシフ」という勉強会に顔を出し、そこでこの団体が求める「再生可能エネルギー促進法」の可決に、己の出処進退を賭けて臨む旨を明らかにした。
動画を見れば分かると思うが、この「エネシフ」の集会には孫正義や宮台真司をはじめ、歌手の加藤登紀子ら著名人が多数参加している。彼らが求める「再生可能エネルギー促進法」(正式には電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達にカンする特別措置法案)
とは、電力会社以外の事業者や一般の市民が太陽光や風力発電を使って興した電力を、電力会社が一定期間決まった金額で買い取ることや、電力会社が他の事業者や個人に対し送電線を解放することなどを義務づけた法律である。要するに、太陽光発電の促進と、電力の自由化を促す法案だ。

で、この法案をカン様に通して頂くために、彼らは歯の浮きそうな美辞麗句を並べ立てて権力者に媚びを売っているわけである。動画のコメント欄にもあるように、その様はもはやカルト教団の集会か、専制君主の足下にひれ伏してつま先に接吻する宦官の群れにしか見えない。
狂ったファシストを延命させ、その結果復興が遅れようと電気代が値上がりしようと増税しようと企業が倒産しようと酪農家が首吊って自殺しようと知ったことじゃない。とにかく脱原発、脱原発、脱原発・・・。そんな、市民感覚から完全に逸脱した「市民団体」のたくましい勉強会なのであった。


それにしても、どうして<脱原発派>の人たちはそこまで太陽光発電と風力にこだわるのか。ほとんど「太陽光・風力至上主義」と言ってもいいくらいである。石油や原発に代わる代替エネルギーには、地熱をはじめ、バイオマスやシェールガス、メタンハイドレート、オーランチオキトリウムなど注目すべき資源があるにもかかわらず、彼らはそれらは無視して、なぜか発電量の乏しい太陽光と風力をやたらと強調する。これは孫正義やそれに連なる運動家だけに限らず、新聞・テレビも全く同じ路線で、まるで代替エネルギーは太陽光と風力しか存在しないかのような暴論がまかり通りっている。朝日新聞など「風力なら原発40基分の発電可能 環境省試算」などという、子供でも首をかしげるであろう「大嘘」を平気で報じる始末。しかしそれらのエネルギーが内包するリスクについては、掲げるときほど大きな声では報道しない。

そもそも、原発反対なら原発以外のエネルギーであればいいはずである。さらに言えば多少のCO2は出ても、放射能漏れ汚染や被爆の危険性さえなければいいわけだ。
宮台真司の「ビデオニュースドットコム」でお馴染みの、京都大学原子炉実験所の小出裕明助教授も「私は総務省統計局のデータをもとに試算したことがありますが、たとえ原発がなくとも、火力と水力だけでピーク時であっても電力供給は完璧に出来る」、「生命体にとって一番怖いのは放射能。
CO2だけを悪者にして、それを出さないから原発はエコだとかクリーンだとかいう宣伝はもう止めるべきです」(週刊現代6/4号)と言っている。
僕もそう思う。なにも太陽光や風力に限定する必要はないのである。それでもメディアや<反原発>の運動家たちは今日も<お日様>と<風車>を両手に持って走り回っている。


一体全体、彼らは太陽光や風力以外のエネルギーの何がそんなにイヤなのか?特に地熱やメタンハイドレートなどのいわゆる「純国産の新エネルギー」が、(関西の)一部の放送局を除いて議論の対象にさえならないのは何故なのか???
僕は岩手の松川地熱発電所に行って、地熱の可能性を感じた。発電量では今のところ太陽光に劣るかも知れないが、エネルギーとして、ソーラーパネルなんぞよりずっと頼もしさを感じた。設置費用にいくら掛かるだの、経年劣化だの、夜間や梅雨のときはどうするだの、屋根が重みで痛むだの、そんな一般市民に金と不安と労苦をかけさせる気遣いもない。ソーラーも一つの選択肢としては認めるが、結論ありきで話を進められると「ちょっと待て」と言いたくなる。これは僕だけに限ったことではないだろう。


思うに、彼ら<反原発>を掲げる人たちが地熱や海底資源を黙殺するのは、それらが国威発揚と直結しているからではないか。長いあいだ、我々日本人はこの国には資源らしい資源はないと思ってきた。アメリカと戦争したのも資源がなかったからだし、原発をガンガン作ってしまったのも、どこ探しても資源なんかないと思っていたからである。しかし、技術の発達でその常識が覆った。資源はあったのだ。別名「燃える氷」と呼ばれるメタンハイドレートは日本近海にかなりの埋蔵量が眠っていることが明らかになり、オーランチオキトリウムに至ってはまだおとぎ話の域を出ないとしても、実用化さえうまくゆけば日本が「産油国」になる可能性まで秘めているという。地熱はすでに温泉街のホテルなどで実用化されており、しかも福島第一原発よりずっと早くから稼働していたのに原発にシェアを奪われ、開発の必要性がなくなっていたため、まだ本気を出していない。

 

じゃあ、いけるかも・・・??

 

誰だってそう思う。すると、なんか急に背が伸びたような気分にならないだろうか。波を二つに割って海中から頭をのぞかせる宇宙戦艦ヤマトを見るような誇らしい気分にならないだろうか。僕はなるのだが、それは恐らく、愛国心をくすぐられるからだ。これら純国産の海底資源や地下資源には、夢がある。ロマンがある。そして、可能性がある。その可能性は、我々に、アジアの中での日本の地位回復と国力の向上という壮大なビジョンを抱かせる。分かりやすく言うと、これらの海底・地底エネルギーには「純国産」の文字が彫り込まれ、日の丸がプリントされているのである。

これが、<反原発>のリベラリストたちには気に入らないのだ。おまけに、必然と言えば必然なのだが、これら国産エネルギーの推奨者がことごとく保守派ときているのも彼らの反日アレルギーを増幅させる。メタンハイドレートの研究者は、かの青山繁春氏の奥方、青山千春さんだし、オーランチオキトリウムなんて・・・・・。「たかじんのそこまで言って委員会」を観ている人にはお分かりだろう。こんな人たちがプッシュしているエネルギーだと聞いただけで左寄りの人々は納豆を鼻先に突き出された外人みたいに顔をしかめることだろう。

それになにより、これが一番重要なことなのだが、自国に資源が豊富にあると知った国民はどうなるだろう?領土に対する意識が高まり、国防意識が高まり、中国に対してこれまで以上に厳しい態度で臨むようになるだろう。当然だ。せっかく掘り当てた財産をかすめ取られてしまうかも知れないのだから。資源があるということは他国に狙われるということであり、他国に狙われるということは、戦争の可能性が高まるということである。つまり、資源が戦争を生む。これは歴史である。つまり、もし平和を望むなら、資源なんかない方がいい、ということになり、日本という国を平和に保つには、「資源なんかありません」と、国民はもちろん外国にも思わせておく必要がある。

しかし太陽光や風力なら、そんな気遣いはない。世界中どこにでも存在するエネルギーであり、いかにもグローバルな、「世界市民」的な気分にも浸れ、紛争の原因になることもない。非常に「平和」なエネルギーなのだ。サヨク知識人やマスゴミが、純国産エネルギーを完全黙殺するのも、これで頷けるだろう。要するに彼らは恐れているのである。さらなる右傾化を。


ただし、どんな事業にも「利権」は必ず生まれる。国策として推し進めるのなら尚更だ。民主党が平和主義的ではあっても「クリーン」とはほど遠いように、太陽光や風力も平和主義的かしらないが、「クリーン」であるとは限らない。誰かが得をし、誰かが損をする。誰かが利権を牛耳り、誰かが不自由を感じる。孫正義は100億円の義援金を送って徳を積んだが、それがこれから始まるどす黒い利権争いの最初の「一手」でなかったとは誰にも言い切れない。



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2011.06.20 | | 時事問題

松川地熱発電所に行ってみた

行ってみたので簡単に紹介します。
(これから行ってみようと思われる方の参考になれば・・・)



松川地熱発電所
所在地:岩手県八幡平市松尾寄木 地図

発電事業者:東北水力地熱株式会社
駐車場:有り。というか道路の空きスペースが駐車場代わりになっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 松川地熱発電所の経緯と特徴(パンフレットより引用)

 

松川地熱発電所は岩手県八幡平市に所在し、八幡平地区の南東部、岩手山の北側の火山地帯に位置しており、十和田八幡国立公園内にあります。

松川での地熱開発のきっかけは、1952年頃に山峡のひなびた湯治場だった松川の温泉開発のためボーリングしたところ、蒸気を噴出したことに始まります。

この特異な現象に着目し、諸調査および蒸気井(じょうきせい)切削を手がけ、1966年10月に日本で最初の地熱発電所として出力9,500Kwで運転を開始、その後、適宜生産井(せいさんせい)の切削等を行ない、認可出力23,500Kw、になっております。

多くの地熱地域では、生産井から蒸気と熱水が同時に噴出しますが、松川は蒸気だけが噴出(熱水はなし)する日本では数少ない蒸気卓越型地熱地域です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※ちなみに松川地熱の23,500Kwは、一般家庭5万世帯分に相当するそうだ。


敷地内には入場無料のPR館もある。行ってみよう~。



中はこんな感じ。レジの女の人に「写真撮ってもいいですか?」って訊いたら「全然OKですよ~」ときさくに答えてくれました。地熱のマスコットキャラのグッズ(そんなキャラいるのか?)とか置いてあるのかと思ったら、売られているのは主に地元の特産品、工芸品、お菓子など。



奥に進むと展示室。日本初の地熱タービン。地下から吸い上げた蒸気でこのタービンを回し、発電する。東芝製。

 


現在、日本には十八の地熱発電所があり、その半数が東北に集中している。まだまだ少ない。




掘削作業に使ったビット。(ドリルの刃)



ちなみに展示フロアはこの一室のみ。少し物足りない気もするが、個人的にはこの<映像シアター>で物足りなさが吹っ飛んだ!




・・・・まあ、シアターと言ってもただ壁にテレビが付いてるだけだし、映像が飛び出すわけでもない。では何に満足したかというと・・・・

↓このドキュメント映像にである!!!!




<映像シアター>では三つの映像を観ることが出来るのだが、これは二つ目の「地熱発電」。

なんか北朝鮮のニュース映画みたいなタイトル文字だが、60年代の映像だから仕方がない。しかしそれゆえに力強く、純粋で、日本人なら熱くなること間違いなしの絶品ショートフィルムだ。
マイナス10度の極寒の中、作業員がモモンガを膝に乗せてクルミを食べさせる心和む一コマといい、凍り付いた配管に石油をぶっかけて火で氷を溶かすそのワイルドさといい、大空に吹き上げる蒸気を見上げる作業員たちの表情といい、短いフィルムに地熱誕生をめぐるドラマが詰まっている。
正直、これを観る為だけでも訪れる価値はあると思うし、僕はこのドキュメントを見て、いっそうソーラー発電一辺倒の昨今の風潮への懐疑を強くした。「地熱、頑張れ!」と思った。
代替エネルギーに対する感心が高まりつつあるいま、こういう映像はホームページなどに掲載して、広く国民に知らしめる必要があると思う。岩手まで行かなきゃ観られないなんて馬鹿げてますよ、PR館の皆さんっ!


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2011.06.19 | | 行ってみた

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プロフィール

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Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
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