シニアなロック

こんな雨ばっかりの毎日だからネットショッピングで憂さ晴らし!
・・・という訳でもないのだが、久しぶりにCDを買った。

普段、あまりCDは買わない。マストバイ的な名盤の類はあらかた持っているし、持っていなくても図書館で借りられる。(さいたま市の図書館はその辺のレンタル店などよりずっと音楽CDの蔵書が豊富なのだ)
何かの拍子に「おっ!」と思う曲なりバンドなりが現れたらユーチューブでPVを観る。で、大半がそこでアウトになってしまう。よくよく聴くと平凡だったり、ルックスが残念だったりして。
こいつ(ら)のCDを買いたい!日本版でライナーノーツから対訳まで残さず読みたい!ボーナストラックまで余さず聴きたい!と思うほどのニューフェイスがいない。
特にロックバンドは悲惨だ。
音楽性以前に、数も少ない。もはやロックバンドという形態そのものが廃れ始めているような気がしてならない。
ジョン・ボンジョヴィにしてもMR.BIGのエリック・マーティンにしても、もともとはピンのソロシンガーとして売られていたが、紆余曲折を経て結局はバンドのシンガーに収まっている。今だったら多分バンドの顔にはせずに、ジャスティン・ビーバーのようなアイドルとして売られていただろう。「アメリカン・アイドル」でひとり異彩を放っていたアダム・ランバートも、あんなにロックロックしたヤツなのにピンのままなのも、「バンドじゃ売れない、バンドは面倒くさい」というレコード会社の判断が背後にあるに違いない。
そういう時代なのだ。メジャーシーンにおいてロックバンドは絶滅危惧種といってもいい。とにかく活きのいい若手がいない。
ポップスシーンはテイラー・スウィフトとケイティ・ペリーという大型新人が出たお陰で活況だが、ロックシーンとなると「アラフィフ」やそれ以上のオッサンたちがなんとか再結成だのフェアウェル・ツアー(解散ツアー)だので話題を作り引っ張っている状況である。
洋楽専門のニュースサイトを開いても、クイーンのブライアン・メイが怒ったとかスティーブン・タイラーがまた勝手なことを言っているとかオジー・オズボーンが泣いたとか、ベテラン勢の話題が大半で、それで持っている感じだ。
ロック史最後のロックスターは皮肉にもロックスターになることのジレンマに苛まれて自殺したカート・コバーンだが、彼も生きていたら49歳である。
リスナーの平均年齢が上がってるんだからやる側が高齢化しても不思議はないのだが、あまりにも若手が元気がなさ過ぎる。
全人口のうち65歳以上の人間が21%以上を占める社会を「超高齢化社会」というが、ロック界も「超高齢化シーン」になるのは時間の問題であろう。
「ロックは若者の音楽」なんて時代はとうの昔に終わっているのだ。
いまの65歳は夫婦でポケモンGOだってやるしね。

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2016.09.25 | | 音楽

パルコのロックメモリー

金曜日は千葉で仕事で、仕事帰りに千葉パルコに行ってみた。本当の目的は半袖のYシャツを買うことだったのだけど、間違って降りた途中の階でこんな催しをやっているのを発見、カラダに電気が走った。
中古レコード掘り出し市。
こんなものは珍しくもなんともないのだが、僕にとってはちょっと特別である。今この場所でこれに出会う、というのが特別なのだ。
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僕のロック遍歴のスタート地点は80年代の映画と、父の持っていた古いレコードだった。
中学2年の頃、ロックより先にまず映画が好きになって、「ストリート・オブ・ファイアー」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ブルース・ブラザーズ」「グーニーズ」「摩天楼はバラ色に」などを観てはこんな素晴らしい映画に出会わせてくれたことを神に感謝する、意味不明な少年になっていた。挿入されている楽曲と映像の相乗効果に心を奪われた。「MTV」など知らないので、レンタルの返却期限までの間、気に入ったシーンを繰り返し再生して「ミュージック・クリップ」のように楽しんだものだ。
当然だが、そこから「ロック馬鹿」になるのにそう時間はかからなかった。
中3になって、父がかなりたくさんレコードを隠し持っていることを知り、盗み聴いた。
ワーナーやアトランティック、モータウンといったレーベルに所属するバンドやアーティストのコンピレーション盤や、当時ヒットしたリズム&ブルースのベスト盤などだ。
アレサ・フランクリン、スティービー・ワンダー、スピナーズ、テンプテーションズ、シュープリームス、マーサ&ザ・ヴァンデラス、フォートップス・・・・。
80年代ムービーにしろモータウンにしろ、時代遅れなんてものではなく、周囲に同じものを観たり聴いたりしているヤツは親友(でもあり現同僚)のA君を除いてほぼ皆無だった。
洋楽はレディオヘッド、オアシス、レイジ、レッチリ、ビョーク、BECK・・・・
邦楽はGLAY、ラルク、ハイスタ、ドラゴンアッシュ、ゆず、宇多田・・・・みたいな時代に僕はこういうのを探しまわっていた。

自宅から一番近い都会が千葉だった。
高校2年のある夏の日、たまたま千葉パルコに来たとき、まさに↑のような中古レコードの掘り出し市がやっていて、A君とともに狂喜乱舞しては競い合うようにレコードを買いあさった。
陳列棚の前、こめかみに汗を滲ませながら、直立不動の姿勢でカシャカシャとレコードを引っこ抜いては「裏ジャケ」を確認、「キープ」だと思ったら横に平置きにしてまた進んでいく・・・・そんな時間を何度となくこの千葉パルコの片隅で過ごした。
年頃らしく何人かの女の子とデートもしたし付き合いもしたけど、多分、その頃の僕にとってはロックが恋人であった。
同時に教師でありセラピストであり精神安定剤でもあった。
何人(なんぴと)もセックスピストルズほどは僕を慰めることは出来なかったし、どの女の子もリッチー・ブラックモアのギターソロほど気持ちよくはなかったし、同世代の連中が電車の中で爆音で聴いているJ-ROCKなるものは僕からしたら氷室や布袋の足元にも及んでいなかった。そういう意味では現実の日々は非常に「BAD FEELING」だった。
誰も見向きもしない、一昔、二昔前のレコードを探しながら、僕はそういう現実から自分をかくまっていた。同時に反撃の方法を模索し、自分が勝利する場面を夢想していた。
時代そのものが敵だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに立っていると、そんな遠い昔の、小便くさい自分の姿が浮かんでくる。
同じ店が再現されたのかと思うほど、あの時の店とそっくりだ。(値段は高くなっているけど)
もう最近はレコードをあまり買わない。
ターンテーブルを回すこともめっきり減った。フラストレーションのはけ口として聴くより、純粋に陶酔するために、素敵なドライブにするために聴くほうが多くなった。もしくは庭作業のBGMとして。
年をとったのである。
でも僕の暮らしの中からロックは消えないだろう。
なぜならロックとは反逆する人間の血の中に潜むものだからである。この世界に「クソったれ!」と思うものが存在する限り、僕はロックであり続ける。

ちなみに、千葉パルコは売れ行き不振により今年11月に閉店することが決まっている。
ロックの神様が最後に見せてくれたのかもしれない。

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2016.07.17 | | トラックバック(0) | 音楽

「フジロックに政治を持ち込むな」について

時代は変わっていた、ということだろう。
今年のフジロックに評論家の津田大介とサヨク学生団体SEALDsの中心メンバー奥田愛基が出演することに「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用だ」などと、ロックファンの間で反発の声が高まっている。
要するに「音楽を楽しみに行っているのに政治的主張なんか聞きたくない」と思う人がたくさんいる、ということだ。
この反発に対しアジアン・カンフー・ジェネレーションのボーカル・後藤正文は「フジロックを知らない人が言っているよね」「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張を繰り返してきた訳だし」と反論したが、ずいぶんな言い草である。
フジロックは確かに「昔から」そういうフェスだった。ウッドストックをお手本にしているだけあって、反体制・反戦平和的な臭いが漂うフェスで、主催者も、協力者も、出演するアーティストも、リベラル系/アバンギャルド系が多かった(今でもそれは変わっていない)だからどんなに人気があろうとガイコツや死神を標榜するヴィジュアル系やハードロックバンドなどは一切呼ばれない。フェスの趣旨にそぐわないからだ。
それに加えて、フジロックと密接な関係にあるロッキング・オン社(音楽雑誌「ロックキング・オン」などを出版)の社長・渋谷陽一は大の反安倍、反原発人間だから、SEALDsが来たって何も不思議ではない。
しかし「不思議じゃないから」、「今までもそうだったから」、「もともとそういうフェスだから」といって反発の声に耳を傾けようとしないのは、少々傲慢ではなかろうか。
アジカンのボーカリストは「フジロックを知らない人の意見だよね」と言ったが、僕からしたら「なにその選民思想?」って感じだ。
知らないから何なのだ??
フジロックに一度も行ったことがない人、行く気がない人、もしくは最近参加するようになった「新参者」の参加者たちは声を上げちゃいけないのか?反発する資格がないとでも言うのだろうか?
普通のロックファンならフジロックがどんなフェスかくらい知っている。
その場所に<親から特定の偏った思想を注入された学生グループ>(の中心メンバー)が乗り込んできてマイクを握り何かを発信することに危機感や嫌悪感を抱く人々がいたって、いいじゃないか。むしろ当然の反応だろう。
僕は彼らの反発は、新しい時代の「声」だと思うし、新しい音を醸成する重要なエレメントになりえると思う。
ロックは既存の価値観をひっくり返して進化してきた。昨日までNOだったものをYESに変え、YESだったものをNOに変え・・・それを繰り返しながら若者とともに今日まで来た。
アジカンのボーカリストのようにこういうときだけ「慣例」だの「序列」だの「資格」だのを持ち出し、「知らない人が言ってるよね」などと訳知り顔で鼻で笑い、軽くいなそうとする態度は、もっともクリエイティブとはかけ離れた態度と言える。
彼には見えていないし聞こえていないのだ。
新しい時代の波が、足音が。

僕は昔からフジロックが嫌いだった。
表面的には「音楽の可能性」だの「皆で協力」だのを掲げておきながら、その実、趣旨に反するバンドは近づけようともしないところに胡散臭さを感じていた。「分かる人だけで楽しめればいいよね」的な閉鎖的で差別的な「空気」を嫌悪していた。
今でもその排他主義は変わっていないらしい。
そんなのはロックでもなんでもない。
アジカンのボーカリストのようなヤツが、ロックをどんどんつまらなくするのだ。

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2016.06.20 | | 音楽

僕の中のプリンス

まだブログを始めて半年も経っていなかったころ、ロックと園芸のコラボとして、こんなリースを作っていた。(コチラ

奥さん考案の、100円のゴミ箱で作ったハート型のリース枠を使って、好きなバンドや歌手をイメージした寄せ植えを作って遊んでいたのだった。
僕も奥さんもファンであった。
でも別に悲しくはない。もともと人間界とは別の次元で生きている天上人のような人だったから、死んだと言われても喪失感が希薄である。
というか、もともと「プリンス」というアーティストは僕の中で生きていなかったのである。ただ「好き」という感情しかなかった。
音楽評論家などは時々、あるアーティストの存在価値を最大限に賞賛する言葉として、「同じ時代に生きられて幸せ」などと言ったりする。
そのアーティストが現代という時代をどう吸収し、どう吐き出すのかをリアルタイムで目撃・体験・共有できることに幸福を感じるというのである。
しかし僕がプリンスを知ったとき、彼はすでに「過去の人」だった。
少なくとも今をときめくアーティストではなかった。
だから僕はプリンスに時代の鏡たることを期待したことはないし、同じ時代に生きているという実感すら持てなかった、というのが正直なところだ。
曲と映像だけがあった。インタビューなんて読んだこともない。
僕にとって彼は過去の偉大な、むちゃくちゃセクシーな作曲家であり、ギタリストであり、反逆児であり、「失われたスター性」の象徴であった。
「ああいうミュージシャンはもう現れない。必要ともされない」
と首を横に振って、その存在の完璧さに溜息をつく。
そういう存在であった。
これからもそれは変わらない。
彼の死が僕の中のプリンスを変えることはない。
「Iwant die 4 you」や「place of your man」や「little red corvette」や「when you were mine」は、これからも僕の喜怒哀楽の瞬間に寄り添う音楽としてあり続ける。

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2016.04.26 | | 音楽

見て見ぬ振りの「アーティスト」様たち

僕たち日本人は、誰かに「『いとしのエリー』ってどんな曲?」と訊かれたとき、YOUTUBEを開いて聞かせてあげることが出来ない。YOUTUBEにサザンオールスターズによるオリジナル楽曲は存在しないからだ。あるのはカラオケのイメージ映像と誰も聴きたくない「歌ってみた」。
しかし「レイ・チャールズの『わが心のジャージア』ってどんな曲?」と訊かれれば、さっとYOUTUBEを開いて原題「geogia in my mind」と入れればすぐ「The original song from the album」(アルバムからのオリジナル曲です)という動画が一番上に現れる。それもかなり高音質で。
①宣伝にもなるし、ある程度だけ管理してあとはシェアさせる
②宣伝になろうとなるまいととにかく管理してリスナーから聴く機会を奪う
の違いである。言うまでもなく我が国は②である。

ところで僕は数ヶ月前、雷に打たれたみたいに「TUBE」というバンドが好きになってしまった。そう、あのTUBE。カレンダーの中の青空と砂浜から飛び出してきたようなグループのことだ。
今年は結成30周年とかで、今度、彼らのライブに行く。
ところが、最近行われた彼らのライブのセットリストを見たら、知らない曲がけっこうたくさんある。「にわかファンだから予習しておかなきゃっ」とすぐさまYOUTUBEで検索した。しかしこれがてんでヒットしない。曲自体がアップロードされていない。予習したいならちゃんとアルバムを買いなさい、というわけだ。
これが洋楽ならザクザク出てくる。先日ボズ・スキャッグスが来日したが、彼の名前を英語で入力するだけで、楽曲どころかフルアルバムがそのまま出てくる。オリジナル音源でアルバムごと聴ける。こんなのは洋楽では当たり前。
僕はそれらをMP3でダウンロードして聴いている。邦楽ではそれが出来ない。出来る場合もあるが、8割がた無理である。
なぜか?
JASRACが目を光らせているからである。

この国にはソングライターやアーティストの著作権を一括管理する、日本音楽著作権協会という団体が存在する。通称、JASRAC。
もともといかがわしい団体だが、ここ数年でその悪名は全国区になった。06年に東京のバー経営者を逮捕した「ビートルズ生演奏事件」から始まり、最近では結婚式で好きな曲を流すのも「私的利用」の範囲を超えるから金を払えと全国の結婚秒読みカップルたちに冷や水をぶっかけ反発を呼んだ。
そのJASRACがまたやらかした。
「適切に著作権料を支払っていない」として、飲食店やブティックなど258の施設に対してBGMの使用料を求める民事調停を、15の都道府県の簡易裁判所に申し立てたのだ。(ニュース
つまり「お店で音楽流してるでしょ、著作権侵害してるからお金を払ってね」ということだ。
「繰り返しの催告にも関わらず手続きに応じない施設が多いため、今回の措置に踏み切った」とJASRACの担当者は言うが、当たり前だ。どこの誰がそんな馬鹿な請求に応じると言うのか。
しかしお店でBGMを流すのは著作権の「演奏権」に該当する行為なんだと。著作者に無断で音楽を流すのは違法行為にあたるんだと。
自分の店で自分の好きな音楽を流したいから美容師になった?独立した?
知らねえよ。
JASRACと契約してから音楽流せや。というわけだ。
僕は騒がしい場所が嫌いで、店で爆音でBGMを流されたりすると非常に不愉快な気分になる。特に最近のJ-POP(主にヒップホップ)は、やれ母親を泣かせてしまっただの、キミが大事なこと教えてくれただの、歌詞がキモ過ぎるので流れ出すと店を出たくなる。だからこの「見せしめ」によってキモいJ-POPを外で無理矢理聴かされる機会が減ると思うと正直ちょっと嬉しい。
しかし個人的な好みを別にして言わせてもらえば、こうしたJASRACのやり方は行き過ぎとしか言い様がない。

ここで不思議なのが、JASRACのこのようなやり方ついて、文化人とかアーティストと呼ばれる人たちからなんのコメントも意見も出されないことである。

JASRACというのはアーティストが任意で著作権の管理を委任する代理機関である。アーティストは、自分たちの権利が守られるようにしっかり管理し、使用料を徴収し、分配してくださいよとJASRACに依頼するクライアントである。
彼らがJASRACに重箱の隅の隅までつついて名もない音楽ファンから金を巻き上げて俺たちをもっと肥やしてくれと要望でも出しているのだろうか?
そんな訳がない。
偶然入ったカフェで自分の曲が流れていて「おい、すぐJASRACに電話だ!」などというミュージシャンはいない。勝手にCMで流されたとか、知らぬ間にプロレスラーの入場曲に使われていたとかするなら別だが、どこかの場末のライブハウスで自分の曲をアマチュアバンドがコピーしているからといって使用料を払えと目くじら立てるアーティストはいない。
いないけどJASRACはこうしている今も密偵の如く音楽の流れる場所に潜り込んでチェックしている。もはやアーティストのためでもなく、リスナーのためでもなく、ただただ、「法」のため、予算の為、文部科学省の天下りポスト機関として生き続けるために。
サイボーグとか、ロボットみたいなものだ。
法律が変わらない限り、アーティスト側が何かしら声明なりアクションなりを起こさない限り、この機械は止まらない。
だからこの問題は、JASRACがどうこうより、彼らを「使っている側」、つまりJ-POPのアーティスト様たちの問題でもある。
しかし彼らは口を開こうとしない。たった1行のツイートさえ呟こうとしない。時の首相をヒトラーになぞらえてパフォーマンスしたり、天皇陛下から頂いた褒章をセリにかけるような仕草をして「反体制」を気取っているつもりのどこかの誰かさんも、こういう問題は見ざる聞かざるだ。ご立派なこと。
僕が知る限り、大っぴらにJASRACを批判したミュージシャンは元爆風スランプのファンキー末吉と坂本龍一しかいない。ファンキー末吉は自身の経営するライブハウスにJASRACから請求書が届き激怒。徴収したお金がどういう経緯でどう分配されるか明らかにしろと訴訟まで起こしている。坂本はJASRACが著作権を一括管理することに疑問を呈し、デジタル配信に関しては自分で管理するとJASRACに要望書を提出していた。さらに言うと宇多田ヒカルがJASRAC怖い・・・みたいな内容のツイートをしたことがあったがそれだけ。
この国には「ロック」の意味を知っているミュージシャンは数えるほどしかいない。

僕たちは気付くべきだ。音楽を作っている側の連中が、僕たちから音楽の自由を奪っているという現実に。J-POPのアーティスト様たちの尻を蹴り上げられるのは、僕たちリスナーしかいないということに。アーティストとはただ憧れ、崇拝し、隷属する対象ではなく、代弁者であれと求める対象でもあることを。
そして疑問に思うべきだ。なぜ洋楽なら個人が自由に市販曲をMP3で動画サイトにアップロードしても削除されないのに、邦楽だとされるのか。なぜ僕たちはこんな狭苦しい、意味不明な「ルール」を押し付けられ、従っているのだろうかと。

日本人は従順で遵法意識が強く、法を守ってる俺ってどうよ?と自己陶酔しているような「いいこぶりっこ」もたくさんいる。ちょっと外れたことをしている人を、上から目線で「イイ大人のすることですか」と説教したがる小者もたくさんいる。
そんな民族だから店のBGMでも金を払えなんてヤクザな要求がまかり通る。「俺の店で何を流そうと俺の勝手だろうがクソったれ」という人間がいないのである。
おかしい法律は変えればいい。おかしいルールを押し付けてくるヤツラには「FUCK YOU !」と言おう。
ギターが弾けるなら、言うべきことは、歌うべきことはたくさんあるだろ。

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2015.06.15 | | 音楽

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プロフィール

祐平

Author:祐平
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
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