ハッピー

8月も半分を過ぎ、日本列島が鉄鍋に放り込まれたようなあの暑さもさすがに鳴りを潜め、いまはひっくり返ったセミの亡骸とコオロギの声に夏の終わりを静かに感じる。

といってもまだまだ暑いけどね!(>_<)

去年奥さんが植えたピラカンサ。

元気一杯腕を広げて、広げすぎて通路にはみ出してきて、トゲがあるもんだから壁際に誘引した。
真っ赤な実を期待していたがオレンジ色の実が成ることが分かって少し落胆したが、この大きさになるとオレンジでもきっと面白いことになるに違いないと思えてきた。いやむしろオレンジのほうが映えるんじゃないかと思ったり。先が楽しみである。

出張から帰ると大抵庭が荒れていてイライラムラムラするのだけど、今回は日曜日に頑張って綺麗にしておいたから大丈夫。

家に帰って庭がきれいだと気分も晴れるし、なによりもっと頑張ろうと思える。
自分で手入れしておいて言うのも変な話だが「俺は園芸が好きなんだな」と気付かされる。

荒れたままにするのが一番良くない。
庭を荒れたままにすると心も荒む気がする。
この夏は庭に出ることが即ち死を意味するような日も多かったから、枯れようと折れようと放置せざるを得ず、家に帰るたびに庭を眺めては溜息をつくことが多かった。
これでは何のための庭か分からない。
我が家は通路を抜けて内庭を抜けて玄関にたどり着く為、庭が荒れているとイヤでも目に付き、「~しなきゃね」「~がまた虫に食われている」「水切れだ」などとネガティブな寸評をしながら玄関のノブを回すことになる。
どうせなら「うちの庭最高」とニヤニヤしながら家に入りたい。
ハッピーな庭を通ってハッピーな気持ちで家に入りたい。
庭が荒れたり失敗が続くと愛情も半減する。
しかし園芸の場合、愛せなくなったら愛せるように自分で変えたり元に戻すことが出来る。
庭は自分で勝手に掃除してくれたり雑草を取り除いてはくれない。
愛せなくなったら自分でまた愛せるように<持っていく>。
その繰り返しである。

と、ちょっと本気でお手入れしただけで思った。
偉そうなこと言いながらこのマインドが持続するかどうかは 別 問 題! (-_-;)

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2018.08.16 | | 園芸コラム

にわ直哉

もう8月。ちょっと涼しくなったと思ったら明日埼玉はまたもや37度の予報。
台風が一回転して暑さも戻った格好である。
相変わらず庭には出られずブログタイトルをそろそろ『庭にいます。』から『庭じゃないところにいます。』に変える時期に来てるのかもしれん・・・と、かすかな焦燥感に駆られている今日この頃。(-_-;)

このまえ志賀直哉の短編集を読んでいたら、「流行感冒」(はやりかぜ)という短編のなかに、直哉が植木屋を呼んで一緒に庭造りをする描写があった。
筋とは何の関係もないシーンなのだが、あのひょろっちい文豪が大汗かいて植木屋と一緒にこの木はあそこに、あれはここに、と自分でどの木をどこに植えるか逐一指示を出し、一日中庭に出て一緒に力仕事までした、と得意げに書いていたのにはビックリした。
今でこそガーデニングは女性がリードする趣味になっているが、かつては男がやる家の中の<仕事>であった。実際的な必要性(防風・目隠しなど)もありつつ、同時に、庭はステータスであり、その出来栄えは即ち自分の知性とセンスを体現するという側面もあったから、ダンディズムが生きていた時代の男たちが庭に情熱を傾けるのも当然であった。
志賀直哉は明治天皇が崩御したときに呑気にビリヤードを打っていたようなハイカラぶった鼻持ちならない作家(という印象)だったが、そんな彼でも植木屋と一緒に全身土だらけにしてスコップを振っていたと思うと好感度UPである。
それだけ庭には男の何かに火をつける魅力があるということだろう。

そう考えると現代の庭はずいぶん実際的になり趣味的な範囲で収まるようになった。
かくいう自分も庭にそこまでの意味を持たせようとは思っていない。
人が見て「あら~♪」と思ってくれ、かつ、自分が楽しければそれでいい。
しかし奥さんがなんとなく始めた家庭菜園なのに、気付けば今では夫のほうが夢中になって土の研究などしている・・・といった話もよく聞く。
おそらく「お前なんかより俺がやったほうが上手くいく」と勝手に思い込んでのめりこんでいくのだろう。
男の入り口はいつも妻の否定である。
うちだけの話かもしれないけど。(汗)

電車の冷房が寒すぎて何度も席を替えた。
わざわざ薄手の上着を持ち歩くのも面倒だ。
居酒屋の個室も寒かった。
くしゃみがよく出る。
やれやれ。。。

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2018.08.01 | | 園芸コラム

街と花と日本人

今日は午後から県東部の杉戸町でお仕事。行きに降っていた雨も着いた頃には止み、あれよという間に青空に変わった。
この季節はどこへ行っても花が目に入ってくる。
民家の軒先、空き地の片隅、役場や公共施設の広場や入り口、郵便局、学校、会社や商店の植え込み・・・。
車で走っていると、向こうの畑に白い花を咲かせたヤマボウシが見えたと思ったら中央分離帯ではツツジが燃え盛るように咲いている。
中には名前の分からないものもたくさんある。
日本の住宅からは庭が消えつつあるが、街には案外花が溢れている。
新宿や横浜のような大都会でもそういう目で見ると意外な場所に意外な花壇や植え込みがあったりする。郊外に行けばもっと多い。
僕がいつも感心するのは高速道路のSAだ。
表にひな壇のようにポット苗をぶわーっと並べ、トイレの中にまで花が飾ってあったりする。それがポットのままプラケースに差し込んであるだけのクセして良く咲いているのが小憎たらしいというか羨ましいというか。。
日本人はダムでも橋でも道路でも新庁舎の建設でも何でも、インフラ工事を完成させた暁には植物を植えなければ気がすまない民族である。
それは我々日本人が花が大好きだからである。
と言いたいところだがそれだけではない。もちろん大前提として「日本人は花が好き」というのがあるのだが、冷めた目で見ると、そこに花や緑があると、我々市民はそれだけでその工事を許してしまいたくなるからである。
道が広がってきれいになって走りやすくなってさらにお花もいっぱいになったら誰だって嬉しい。工事してよかったんじゃね?と思う。
つまり政治の一手法として、花の魔力によってその公共工事やインフラ整備を「よく見せる」という思惑もある。
生臭い話だが、逆に言えば日本人がいかに花に弱いかを物語ってもいる。

この間キム・ジョンウンと習金平が中国の大連で会談した。
大連は発展目覚しい新興の都市であり、習金平はその街をジョンウンに見せて「お前も経済発展に専念しろ」と暗にメッセージを送っていたとかいないとか。
その大連の中心部を俯瞰した映像が映った。
高層ビルが立ち並ぶ中に、円状に象られた広場があった。

中山(ちゅうざん)広場という。
見れば分かるように、非常に無機的でまるで温かみを感じない広場である。
大連はそもそも帝政ロシアがパリを手本に街のベースを作り、数年後、日露戦争でロシアに勝った日本が租借権を譲渡されて本格的な街づくりを行った都市である。
この広場は当時からあったが、もしそのまま日本が統治していたら、おそらくこのような無機的な広場にはなっていなかったのではかろうか。
かなり寒い場所だから植物なんてろくに育たないかもしれないが、木を植えるにしたってもっと木漏れ日を感じられるように配置するとか、藤棚のような棚を設けたり、背の低いものと高いものとを組み合わせたり、色々と憩えるように工夫をするような気がする。
もちろん、日本にだって事務的で無機質で、いかにもお役所仕事のような広場や植え込みもたくさんあるが、それでもここまでじゃない。

結局、僕が言いたいのは日本人ほど花や緑に敏感でうるさい民族もそうはいまい、ということである。
例えばさいたま市が山や畑を切り崩して↑のような広場を作ったとしよう。
新たな市民の憩いの場が完成しました!みんな来てね!ヽ(^o^)丿 みたいな。
結果は目に見えている。
⇒ 炎上。
でもそこに桜や梅が植えられており、奥にはユリ園やバラ園があります、となったらどうだろう。
さらに道の駅が併設されて近日OPENとなったらどうだろう。
一気にワクワクするのである。
花に弱い民族である。
もっと言うと、花と一緒にお買物とか出来るとなると、もう参っちゃう民族である。
中国人からしたら「どんだけ!?」と思われるだろうが、それが日本人なのである。
だからこそインフラ整備や都市整備、拡張工事がある限り、逆説的だが花も自然も「更新」され、新たな「お花スポット」も生み出されてゆく訳である。それはかなり人工的な「自然」だが、都市の中の自然はそうして作るほかない。
それに日本人にやらせると、どう人工的にしようとしても中国の100倍は有機的になってしまうから大丈夫。

そういう日本人が好きだし、そういう日本の中にある公園や庭園が好きだ。
と同時に、ぜひとも中国や韓国に行って、花や緑や庭を見てみたいとも思う。

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行政書士 産業廃棄物 許可

2018.05.10 | | 園芸コラム

人は庭

今日も雨。気温もすこぶる低く、大げさでなく冬を思い出す寒さ。
暑くなったり寒くなったり、まったく忙しい。
仕事も忙しい。
カレンダーは予定で塗りつぶされ、それはそれで嬉しいのだがお尻はカチカチ山みたいに燃えている。楽な仕事や得意な仕事ばかりなら焦りはしないが、いま目の前に積み上がっている仕事はハードでタフなものばかりである。
それもスキルとなって還元されると思って頑張るしかない。
最初から花ざかりの庭なんてない。
みんな大抵はただの更地だったりうちのように放置されたジャングルだったりしたはずだ。
もっと言えば、水はけが悪かったり、日当たりが悪すぎたり(または良すぎたり)、小石だらけの地面だったり・・・ゼロどころかマイナスから始めなければならなかった人もいよう。
それを額に汗して蚊に刺されたり指にマメを作ったり夫婦喧嘩したりしながらなんとか整地して庭の原型らしいものを作っていくのである。
仕事も一緒。
最初から何でも出来るヤツなんていない。
ベテランにも「初めてやる」ことなんて一杯ある。
ハンデを抱えてマイナスから仕事を覚えなければならないこともある。
水をやり忘れて花を枯らし、ケアを怠って顧客を取り逃がす。
クワやシャベルで畑を耕し石灰を撒き元肥を施し、種を撒く。
手土産片手に車で走り回って営業して広告を配り仕事の種を撒く。
花壇になる。菜園になる。
お得意になる。大口になる。
忘れた頃にタイムが咲く。

もう出てこないと思っていた球根がある日突然芽を出したりする。
2年も前の営業の努力が今更実ったりする。
先日など4年前に一度会ってそのまま立ち消えになり、音信不通になっていた顧客から電話があった。
こっちも会うまではまさかその人だとは思っていない。
いざ会ってみたらどこかで見た顔、名前もどこかで聞いた名前。
話の途中にもかかわらず、たまらず訊いてしまった。
「前に一度お会いしてませんかね・・・?汗」
「え?いいや」
相手はまったく覚えていない。
こっちも不安になってきた。でもしかし・・うーんモヤモヤ。。
果たして事務所に帰ってから名刺ケースを漁ってみたら、出てきたのは4年前にその人にもらった名刺。
不思議なこともあるもんだ。
なんの縁(えにし)か、自分の両手をすり抜けていった仕事が巡りめぐってアッパーカットしてきた感じ。
武田信玄は「人は城、人は石垣人は掘」と詠んだが、こうして考えてみると人は庭でもある。
苦難と挫折、発見と歓喜を繰り返しながら成長し、ゴールのない旅を続ける。

種を撒いても出ない時もある。水をやってるのに枯れることもある。
花っていうか、自分が根腐れしそうなときもある。
でもいやなことばかりじゃない。
楽しめなくなるまで、楽しむつもり。

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2018.05.09 | | 園芸コラム

植物は好きですか(後編)

昨日の続き。(昨日とタイトルを変えました)

しかし園芸界も広い。
一言に「ガーデナー」といっても色々タイプがあって、3~40代の比較的若い年代の女性がたくさん訪れるお店もある。
多肉植物やエアプランツ、ナチュラル系雑貨とアロマや草花を上手に組み合わせたショップ、またはそういったニーズをフォローしている園芸店である。
同じ園芸店でも、そのようなナチュラル志向の園芸店には高齢の客は少ない。
と、そこだけ見ると若い人も<植物>が大好きなように見える。
しかし<植物>に求めるものが昨日書いた高齢の客たちと若い女性たちとでは違うのである。
<植物>といえば、都会を歩いていると一回は必ず目に入る文字がある。



ボタニストという、オーガニックシャンプーやクリームなどを作っている企業のロゴだ。
このお店そのものもよく見るが、それ以上にこの店のショップ袋(・・・というのかトートバッグというのか知らないが)を持っている女性も多い。
あたかも「意識高い系女子」のシンボルとでもいうようにさりげなく肩に下げていたりする。
その「意識」とはほかでもない、ライフスタイルや美容に対する意識だ。
「ボタニスト」という響きからも分かるように、この企業のコンセプトは
<植物とともに生きる>(HPより)
である。
表参道にカフェもあって、そこはコウモリランやエアプランツ、シダ植物などが天井からぶら下がる、一見園芸店と見まがうような概観の、緑に囲まれたお店である。
しかしこの会社のいう「植物」と、年配の人たちが思う「植物」とは同じではない。というか、かなり隔たりがある。
おそらくボタニストにとってツツジやサザンカやゼラニウムは彼らの言う「植物」に入らない。ペチュニアもベゴニアも入らないし梅も松もサルスベリも入らない。
オリーブは入るだろう。シマトネリコも入るだろう。
だがビャクシンは入らない。
なんでやねん、と思うだろう。
見えない基準があるのである。
彼らの言う<植物>とは、インテリアになりうる、都会的に洗練されたトレンディーな植物のことを言うのであって、我が家のような古臭い家の庭に植わっているような庭木は彼らからしたら「ゴミ」以外の何物でもなかろう。
それはそれで別に構わない。
ただ、そんな偽善的な理念の会社があたかも植物を愛しているかのような顔が出来るくらいだから、現代における<植物>の意味するもの、喚起するイメージが、昭和のそれとはだいぶ違ってきているのではなかろうか、と言いたいだけである。
植物大好き、でも庭は要らない。
植物のある空間が好き。でも木の名前なんか知らない。どうでもいい。
それではかなしい。
若い世代がせっかく緑や植物を「いいな」と思っても、広がっていかない。奥へ進んで行こうとしない。表面だけで満足してしまう。
売るだけ売って「おしゃれ」と評価されるだけでよしとしてしまう、ナチュラル系ビジネスの功罪と限界がそこにある。
「植物」や「緑」をイメージ戦略と話題作りに利用しているだけで、本当の意味での<植物のある暮らしの楽しさ・豊かさ>は提供していないように感じる。
僕は別にボタニストに恨みがあるわけではない。
植物とライフスタイルを結びつけ、オーガニックでナチュラルな都会生活に憧れる女子のハートを巧みに掴んだと思う。
ただ、ボタニストに限らず「それ系」のショップや空間で使われている植物が、判で押したようにいつも一緒で、いかにも馬鹿の一つ覚えなのが残念である。でっかいキセログラフィカやコウモリランをお洒落に飾りたい気持ちは僕にもあるが、別に同じ空間に花があったっていいじゃないかと思うのである。でもナチュラル志向の人たちはどちらかというと花よりプランツが好きである。
とまあ、そういうわけで、一概に<植物のある暮らし>といっても年配者と若い世代とではイメージするものが全然違うし、<園芸愛好家>とか<植物好き>と言っても、とんでもないジェネレーションギャップがそこにはある。いや同じ若い世代でも僕のような安苗満開の「胸キュン♡アホ庭」を目指している者もいれば、そういう庭は管理が面倒だしちょっとゴテゴテし過ぎていると感じる人もいよう。
人それぞれだからそれは全然構わないが、ナチュラル志向があまりにも多数派になると、おそらくこの国から庭は消える。
ただでさえ地価が高いのに、 「シンプル」「飾らない」「都会的」「省スペース」「清潔感」・・・そんな価値観で家を買おうとしたら、庭ほど無用なものはないからだ。
しかしいま60代くらいの人までは、その無用の長物を所有することが逆にステータスなのだと思うことが出来た。いわゆる「庭付き一戸建て」というやつだ。
その世代が購入した家々が今、どんどん解体されて庭のない3階建てや「タイムズ」に変わって行っている。

「植物とともに生きる」というのは、エアプランツの飾られた部屋でオーガニックの化粧水を使うことではない。
実際に触って、植えて、水をやり、収穫し、剪定し、落ち葉をはき、株分けし、花を見、その作業の合間にコーヒーを飲むことである。

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産廃の許可 行政書士

2018.04.18 | | 園芸コラム

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プロフィール

yuhei

Author:yuhei
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
⇒ mail@brightside82.com

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