初心を忘れられない園芸

また寒さがぶり返して風も吹き荒れる関東。。
春はそう簡単にやっては来ないか・・・。(-_-;)

室内の多肉はこれといって弱るでもなく、むしろどちらかというと機嫌よさげ。

もっともっと部屋に緑を増やしたいんだけど、なかなか時間がねー。(予算もねー)
数年前はもちっと平日でも暇な時期があったりして、閑古鳥鳴いてるから庭にでも出るか・・・ってなことが出来たんだけど。。。
時間が経って仕事が快調に回り始めて、そういうわけにも行かなくなってきた。いいことなんだけど・・・。
このブログを始めた頃が少し懐かしかったりもする。
園芸店で売っているジュリアンを見て、「冬でもこんなキレイな花咲くのあんじゃん!」と無邪気に驚いていた頃。
知ったばかりのペチュニアを4月上旬に地面に植えたら季節はずれの雪に降られ慌ててたあの頃・・・。
色んなことが新鮮だった。生まれて初めて持った庭はまっさらなキャンバスのようだった。
今ではホームガーデナーとして7年のキャリアを築き、植えた草花もけっこう多い。
ちょっとやそっとでは驚かなくなった・・・・
と言いたいところだが!
ガーデニングの驚異的なところは何年経っても驚きがなくならないところだ。
想定外の出来事やトラブルに見舞われて頭を抱えることもある一方、そのお陰で
(?)いまだに庭を余白の目立つキャンバスのように感じることもできる。
要するに飽きない。終わりがない。
大体こんだけ長くやってりゃもっと要領よく「胸キュン☆アホ庭」にできそうなものなのに出来ないのがその証拠であろう。
多分、「理想のインテリア」というのは案外決めてしまえば決められるのだと思う。
しかし庭の場合は屋外の自然の中で生き物を扱うので、アウト・オブ・コントロールな部分がどうしても出てくる。
野菜でも球根でも、毎年同じという訳には行かない。宿根草も手入れをしないと咲かなくなったりする。

てなわけで、ガーデニングというのはなかなか初心が忘れられない趣味である。忘れたくても忘れられない。成長してないだけじゃん、と言われれば、まあそうなのかも知れないけど・・・(-_-;)

所変わって外の花壇。

ラナンキュラスの園芸品種、「ラナンキュラス・ラックス」がこんもり茂ってきた。

こっちはアカンサスモリスの園芸品種、「エンジェル」。

また寒さがぶり返してしまったけど、こうやって新しい葉を茂らす宿根草たちを見ていると、花たちは春が来るのをこれっぽっちも疑っていないのだなと微笑ましく思う。

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2017.02.21 | | 園芸コラム

若さと家 老後の暮らし

今日は午後から顧客の事務所でミーティング。造園業を営む会社さんで、事業場の植え込みには葉牡丹がぎっしり。話をしている間にもコニファーを満載したトラックがやってきたり、仕事脳からガーデナー脳になる瞬間がちらほら。
でも造園業者といっても色々あって、本当に庭園の保守管理や個人宅の庭造りを専門とする業者さんもいれば、道路工事などの公共工事をメインにする、土建屋さんと違わないような会社もある。
僕の印象だと後者が多数派のような気がするがそれは時代の波によるもので、もともとはみんな造園専門でやっていたのだ。今日訪ねた会社さんもどちらかというと後者である。
その辺について尋ねると、昭和10年代生まれの社長は
「庭がないもんね」
と、細い声でつぶやくように言った。
「つぶしちゃうから、いまは」
日本中から「庭」が減っているのに仕事が増えるはずもない。
見切りをつけて、造園の資材やノウハウを生かせる他業種にシフトしていくのはむしろ当然である。
このセリフは造園業者さんの口から前にも聞いたことがあるし、解体工事をしている人からも聞いた。
「古い家一軒潰して新しいの2軒、3軒建てるの、フツーだもんね、いま」
といった具合に。
日本の家から庭がなくなりつつあることの愚かさについては当ブログでも前に散々書いた。
人口の減少は歯止めが掛からず、空き家も増えているというのに庭のない狭い家をガンガン建てる意味が分からない。今でも分からない。
人々が庭のある生活を望んでいないからだ、と言われればそれまでだが、だとしたら寂しい話である。
また別の人からは「若い人こそ一軒家に住むべきだ」という話を聞いたことがある。
「年をとるとね、関節が痛くって、ちょっとした段差でもキツイのよ~」
とその女性は言った。
「階段なんか上がれやしない。なんでこんな3階建てなんか建てちゃったのかしら。マンション買えばよかったわ。年取ったらね、マンションのがラクだわよ絶対。エレベーターもあるし、フラットでしょ?床とか玄関とか。車椅子乗るようになっちゃったら、結局家だってフラットにリフォームするんだから。それに一軒屋より安全でしょう、治安の面で」
その人は結局家にエレベーターをつけた。
高齢者はマンションに移ってもらって、若い人がその空いた一軒屋をリフォームして住む。
そういう提案だった。
また別の人から、同じように老後のことを考えてマンションを買うことにした、という話を聞いた。
「妻がね、マンションじゃなきゃイヤだっていうもんだから。後のこと考えたらね」
足腰の丈夫なうちはいい。
でも年をとったら絶対一軒家はしんどくなる。
だから一戸建ては若い人が住むべき。
その人もそんなようなことを言っていた。

案外、みんな「家」や「住」について意見を持っているものである。
マンションのほうが格好よくて、お洒落で、若い人向きと思っていたが、むしろ逆らしい。
確かに、自分も借家ながら一軒屋に住んでみて、その管理の大変さは知っている。スギナが生えてこようとナメクジが大量発生しようと家の中にヤスデが毎日2~3匹侵入してこようと、勝手口に砂が舞い込んで来ようと、若いから自分で何とかしてやるぞコンチクショウと思えるのであって、70歳になっても同じようにスギナや不快害虫と格闘できるのか自信はない。
そう考えると、マンションならそんな気遣いはない。
管理組合のなかでの不和とか、耐震偽装とか、杭が刺さってなかったとかいう問題はありうるだろうが、基本的には一戸建てよりはDIYはせずに済みそうである。
しかしいまは、その肝心の若い人たちも庭の管理などを疎んで、あえて庭のない家を選ぶ傾向にある。
庭なんかよりウォークインクローゼットやキッチンの広さを優先しがちである。
そんなものは歳をとってからマンションでも実現可能である。
若い人は、
「若いなら若いうちにしか住めない家がある、出来ない生活がある」
ということも頭の片隅に入れて家探しをしてみては?
と思う。

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2017.02.15 | | 園芸コラム

日本人の季節感

梅だけ見ていると春が来たようだ。

人が春を感じる瞬間は千差万別なれど、やはり「花をみたとき」というのが圧倒的に多いのではあるまいか。
冬にも花はたくさんある。露地植えに出来るものは少ないが花屋に行けば花はたくさん咲いている。
しかしそんな人工的な花で人は「春」を感じない。
自然に咲いた花しか持ち得ない情緒というのがあって、それを見たときはじめて我々日本人は春を感じることが出来る。
具体的には「桜を見たとき」と言ってもいいだろう。
当然ながら桜は背が高い。頭の上で咲く。
だから僕たちは見上げることで、春の到来を実感する。
クリスマスローズや福寿草が芽吹いたり咲いたりしたときも春を感じはするが、やはり梅や桜が与えるインパクトとは質が違う。

しかしこれはあくまで日本の話であって、地域によって春の訪れ方は違う。
作家の安倍公房がかつて面白いことを言っていた。
満州で生まれ育った彼は日本の「春」を知らなかった。本土から送られてくる教科書には窓の外に山と小川の流れる日本の原風景が載っているが満州は冬は零下20度になる砂漠だ。
安部は言う。
「なんと言っても印象に残るのは春の到来さ。春というのは徐々に来るんじゃなくて、ある日突然来る。(中略)凍った地面の割れ目に、ちらと緑がのぞく。それが合図なんだよね。いつまでもしゃがみ込んで、じっと眺め入っていたものさ」(エッセイ「死に急ぐ鯨たち」より)
日本人が春を見上げながら待つとすれば、安部の故郷満州のように地面をじっと見つめて待つ春もある。
それゆえ安部は日本人は季節に鈍感だと指摘する。
「日本人はよく自慢話をするね、四季のうつろいに敏感な民族だとか言って。どうかしているよ。季節に情感を感じない民族が何処かにいるだろうか。(中略)むしろ日本人は季節に鈍感だと思うよ。でも農耕作業をつつがなく運営する為には、あいまいな季節にけじめをつける必要がある。だからやたらに季節を論ずるのさ。日本人が自慢できるのは季節論であって、季節感じゃないよ」
確かに、日本人というか特に関東のような比較的穏やかな気候の場所に住んでいる自分からすると、、自分も含めて関東人は回転寿司の皿でも待つような呑気さで季節の変化を待っている気がする。
反面、雪が多く降る地域の人たちにとって春とは勝ち取るものである。
雪が解けるまで生きていることがまず重要だし、家が雪で潰れないよう雪かきも怠れない。寝ていれば勝手に春が来る、というわけではない。
雪国の人と関東のように穏やかな土地に住む人とでは季節の変化に対する意識は天と地ほど差があるだろう。
冬の重さが違う分、春に対する憧憬もまた大きい。

仕事で首都圏中の都市を歩く。
今日は千葉と船橋にいた。
明日はバレンタインだそうで、どこのエキナカでもデパートでも道路でも即席の出店が出て、乙女チックな人だかりが出来ていた。
こういう光景を見るのは嫌いではない。活気があって結構だ。世の中にはこんなに女がいるのに俺にチョコくれるヤツは(奥さんも含めて)一人もいないのかという悲哀は横に置いておいて、賑やかでいい。
しかし安部の言う「農耕作業をつつがなく運営する為には」の「農耕作業」を現代風に「経済活動」(もしくは消費活動)に言い換えると、なるほど、安部の言わんとする日本人の季節感のなんたるかが見えてくる気もする。
現代において季節の変化などというものは、しょせん消費と結びついたリボン程度のものに過ぎなくなっているのではないか。
と、チョコを買い求める女子たちの背中を眺めながら思ったりした。
でもま、これも季節の変化のひとつのシーン、風物詩なのだとすれば、それはそれで微笑ましい。
こんな日本の2月も、僕はまあまあ好きである。

 
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2017.02.13 | | 園芸コラム

春を待てなくて。

今日は午後から仕事をお休みして、超久しぶりに園芸店へ行った。

さすがに客は少なく、外の売り場にはパンジーすら置いてなく、風の音だけがごうごうと響いていた。
ま、確かにこんな寒さじゃ園芸などする気にもならないよね。。
オレはする気満々だけどね!

でもいい苗があんまりないなー。

ユーフォルビアはすでにたくさん植えてあるし~。

ユーフォルビア多いな。。。

やっぱ目はこっちに向いちゃうよね。

カゴにそっと入れてたら
「またストック!?」
と奥さんになじられた。
無視した。
「まーお好きに」
言い捨ててスタスタと歩き去った。
意地悪な姑かお前は。

当の奥さんは半額のシクラメンにキュンキュンであった。

「900円が450円だよ!」
何個でも買えばいいさ。

爆買いとまでは行かなかったけど、まあ、しょうがないか。。
「そういえば最初に行ったお店で」
と奥さんが帰路、思い出したように言った。
「見知らぬおばちゃんに話しかけられた」
「なんて」
「『こんなにきれいなお花たくさん置いてあるけど、どうせ外に植えられないんでしょう?』って」
「へえ」
「目の前にストックがあったからよっぽど『これならいけますよ』って言おうと思ったんだけどなんか言えなかった。合わしちゃった」
「どうせ外に植えられないんでしょう?か・・・」
確かに園芸店には花の咲いた状態の苗がたくさん置いてある。
今日僕が見ただけでも、ミニバラ、ラン、エリカ、スクテラリア、リーガーベゴニア、ルピナスなどが花の咲いた状態で出ていた。
植えようと思えば植えられるが、まあ、まず悲惨な結果に終わるだろう。
軒下でも厳しい。
そのおばちゃんの嘆息を、僕は何も知らない素人のワガママと片付けることができない。
自分もそう思いながら空っぽのカゴを振っていたからだ。
結局ストックを何株も買っているのがその証拠。
冬は戸外に露地植えできる花は本当に少ない。
ましてや花が既に咲いているものとなると、数えるほどしかない。
そんなことは百も承知である。
ではなぜ園芸店に行くのかといえば、
園芸がしたいからである。
花を植えたいからである。
そのおばちゃんもそうだったに違いない。
何か植えたいな、と思ったから来たのだ。
春を待てずに、はやる気持ちに押されて来てみたのだ。
花の咲いた植物は棚にたくさん置いてあるのに、どうも外には植えられそうにないものばかり。
春の遠さを実感して、タメ息が出る。
誰かとそのフラストレーションを共有したかったんだろう。

「てことで、ストックは教えてやるべきだったね」
「えっっ!!」Σ(゚Å゚)ガーン

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2017.02.10 | | 園芸コラム

好きな場所をもっと好きになるために。

事務所に来たお客さんに「見せる」のではなく、思わず「目が行ってしまう」空間にするのだ!と壮大なロマンを掲げた日陰の庭だが、今現在、事務所の窓から眺めるとこのヘナチョコ具合である。

「無理やと思うで」
窓の前に一人腕組みをして佇んでいたら奥さんの声。
「目、行かへんやろ」
ときどき関西弁に戻る。
「う~ん」
確かに、厳しい。
まず自転車が生活感丸出しでお話にならない。アンティーク風の高級自転車なら格好もつこうが、ホームセンターで買った中価格帯の普っ通のママチャリでは・・・。しかし自転車2台を置けるような場所はここ以外にない。
背後のツツジも素人が誤った剪定を繰り返したせいでいびつな茂り方をしている。
コンクリートの地面と土の境目がハッキリしすぎているのも、どことなく硬いというか、無味乾燥とした雰囲気にしている。
要するに自転車以前の問題である。
自転車を移動してここに花をたくさん咲かせればマシに見えるかといえば、大して変わらないのではなかろうか。

一番いいのは自転車もどかして、かつ、植え込みスペースも背後の庭木も、流れの中で、一つの風景として見えるような工夫をすることだ。

視線を落すとヘレボたちが元気に葉を伸ばしている。

ここにヘレボを植えると決めたときから、いやその前から、上のような「ロマン」は抱いていたのだが、なかなか手が回らずに2017年になっちゃった。
よく咲いてくれるが、咲けば咲くほど「もったいない」と思う。こんな残念な場所でそんなに可愛く咲かないでくれと思う。
ヘレボだけじゃない、シュウカイドウやアジュガ、ギボウシ、ユリなど、いまは枯葉の下に眠っている草花が春~夏に頭を出して、日陰なりに賑やかな空間になるのである。
だから僕はこの場所がけっこう気に入っている。
残念なだけで、嫌いではない。むしろ好きである。だからこそ、残念と思う気持ちもひとしおで。。。
ここは、通路やポタジェとは違い、まだ人間の支配(コントロール)が完全には行き渡っていない場所。
言うなればうちの庭の中で一番「自然」な状態に近い場所。
木が茂っていて、薄暗くて、落ち葉に覆われていて、やかましい鳥が何羽もやってくる。

夏の朝の木漏れ日が床に小さな光の水溜りを作るのも、けだるい雨の午後、キウイの葉がパタパタ鳴るのも、よじ登って、一息ついて、飛び立ったセミたちの抜け殻が夏の風を呼ぶのも、この日陰の庭である。
サンサンと輝く陽だまりでは感じられない、静かな感動が日陰にはある。
でもその静かな感動は、家主だからこそ分かることで、他人に感じてもらうことは出来ない。
だから、少しでも感じてもらえるように、この場所を整えたい。
夏、事務所の障子を開けて、ガラス越しに、優しい日陰のなか輝く草花を見たい。

好きな場所をもっと好きになれるように、しばらく腕組みのまま窓とにらめっこする日が続きそう・・・。

あ、そうだ。
待ちに待ったシャコバサボテン、開花しました☆

一つ咲けば全部咲くはず!と願掛けしていたので、無事咲いて安心した。。。
「(水を)やらず、触らず、動かさず」の放置作戦が功を奏したのかな。

さーて。明日頑張ったらまた週末だー。
事務所の次はインテリア(キッチン周辺)の改造も予定しているので、それにも着手できるかなー。
事務所改造ほど大掛かりなものじゃないので、気は楽です。

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2017.01.12 | | 園芸コラム

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プロフィール

祐平

Author:祐平
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
⇒ mail@brightside82.com

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