コンビニと超高齢化社会

近くのコンビニで多肉が100円で売っていた。

そう、かつて開花株のヘレボを300円で叩き売っていたのと同じコンビニである。
今年もやってるかな~と期待して覗いたらヘレボはなかったが多肉があった。
そのコンビニは花苗も安ければ野菜はさらに激安で、スーパーの半額近い値段で白菜やホウレンソウが買えてしまう。
もっとこういうコンビニが増えればいいのに、と思うが、なかなかそうも行かないだろう。そんな自由をどのオーナーにもホイホイ与えていたら、統制が利かなくなってセブンのようなファミマのようなローソンのような、いやドラッグストアのような肉屋さんのような園芸店のような、訳のわからないコンビニが横行しそうである。
自分のカラーを出したいなら本社を驚かせるような「数字」を出してからにしろ、という世界なのに違いない。(そして頑張って数字を出しても最小限の自由しか認めてくれなさそうである)
しかしそんな色気など抱く余裕もないほど、今のコンビニ経営は大変に違いない。
コンビニの利便性・機能は年々高くなっている。
品出しや商品整理、清掃、レジ打ちといった基本作業から、宅急便の受付、公共料金の支払い、切手の販売、調理場で揚げ物もすればソフトクリームもぐるぐる、コーヒーマシンへの豆やミルクの補充・メンテ、コンサートチケットの販売、お歳暮や御節、クリスマスケーキの予約、本の販売、ネット決済の手続き、店舗によっては県証紙の売りさばきもする。
おまけにブレーキとアクセルを踏み間違えた車が突っ込んできたり、強盗が襲ってくることもあり得る。DV夫やストーカーから逃げて駆け込んでくる客もいる。
外国人が店員をしていることがよくあるが、彼らへの指導だって先輩店員がやるわけで、その労力たるや想像に難くない。同時に、教えられる側の外国人も覚えることが膨大で大変だろう。
認知症の高齢者だって来る。
実は別の近所のコンビニで、奥さんがとんでもない光景を目撃した。
奥さんがコンビニで買い物をしていると、一人の老人が入ってきた。全身がひどく汚い。外は雨で、老人は傘を持っていた。
でも下半身は裸だった。
幸い、裾の長いシャツを来ていたらしく露出はしていなかったらしいが、下半身にこびりついた汚れが跳ねた泥なのか違うものなのか疑いたくなるほど、ボケの進んだ老人だったという。
店に居合わせた若い作業員風の客が「ちょっ・・おじいちゃんおじいちゃん!」と苦笑しながら老人を諭したそうだが本人はどこ吹く風。店員が外に連れ出すのにえらく苦労していたそうな。
「なぜ来るんだろうね。コンビニなんかに」とその話しを聞いたとき僕は奥さんに言った。
「相手してくれるからじゃないかな。なんだかんだ、周りがかまってくれるでしょう?だって店員さんたち、すごく親切に対応してたもの。追い出すって感じじゃなく。頭が下がったよ」
人口は減る一方で高齢化が急激なスピードで進むこの国にあって、コンビニだけが増えてゆくというのは、つまり、今後コンビニが高齢者の受け皿になってゆく、ということでもある。
ただの高齢者ならともかく、上述したような認知症の高齢者が人恋しさにフラフラとやってくる確率だって、増してくる。僕らがそういう場面に出くわす確率も高くなる。
自分も何か手を貸さなければならないときが来るかもしれない。
そんなとき、上の店員さんのような温かい手を差し伸べられるだろうか。全く自信がない。。。

コンビニはもはや、単なる「24時間営業の便利な場所」という次元では語れないものになりつつある。
「店」と言うより、社会そのものなのだ。日本そのものである。

コンビニに行くのイヤだな、と思うような未来はきっと暗い未来に違いない。
そんな時代にはしたくない。

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2017.01.11 | | 時事問題

偽善のカタルシス

【浄化】という言葉は、汚れを落してきれいにすること、清浄にすること、という意味だが、人間の心の浄化のことを「カタルシス」という。映画やドラマや小説の世界に感情移入すると我々は泣いたり笑ったりするが、それによって日常生活でこびりついた心の澱を洗い流し、快感を得ている。アリストテレスはこの精神作用のことを「カタルシス」と呼んだ。
現実に汚れた物や人を洗い流す「浄化」と、カタルシスとしての「浄化」。
最近のニュースを見ていると日本はこの二つの「浄化」の間を行ったり来たりしているように見える。
このあいだ、たまたまテレビを付けたら2016年の話題になったニュースを振り返る番組がやっていた。第何位だかに「ベッキーさん不倫騒動」がランクインしていた。その際に、彼女の顔が画面に出たのだが、よく見るとイラストであった。そしてほとんど誰も何もコメントせず、ニヤニヤしながら頷いたりするだけで、次の順位に移っていった。あたかも犯罪者かプライバシーを保護する必要のある一般人のような扱いであった。
僕は彼女に何の好意も好感も持っていない。(どちらかというと嫌いである) だが、
いま、西暦何年よ???
と呆れてしまった。
もうすぐ2017年だぞ。
妻帯者と恋愛しただけでこんなあからさまな村八分を平然と行い、それをお茶の間に流すテレビ局・芸能界とはなんと下劣で前近代的な世界であることかと。
大体、一体どれだけの国民がそこまでしろと望んでいるのだろうか?
彼女がテレビに映ったら「何で出すんだ!」「引っ込めー!」「気分悪いわ!」と思う人が一体どれだけいるというのか??
問題はそこである。
ほとんどの国民は今さらベッキーなんかどうだっていいのである。
彼女がまた以前のようにCMやコメンテーターとしてテレビに現れても、大半の国民は「へー」と思うだけである。僕たちはもっとほかに頭を使うことがあるのだ。
つまりテレビ局に苦情を入れるのはある特定の、限られた人たちである。全国民の0.何%かの人たちによって、過剰なルールが作られ、偽善の壁が築かれてゆく。
不寛容の快楽。
「ベッキーを許さないこと」をライフワークにしているような人間がいるのだ。
大麻に関してもまったく同じ構図の「偽善の壁」が立ちはだかる。
ゲイの俳優が大麻を吸ったか吸わないかが問題になって、彼の出演していたドラマがもう放送できないとかなんとか大騒ぎ。このドラマには同じく大麻で捕まった女優も出ていたから、数シーズン分はまるまるNGになる。
こんな馬鹿な話は日本でしか聞けない。
葉っぱくらい誰でも吸っている欧米でそれをやったら、ポップカルチャーそのものが死ぬ。スポーツも死ぬ。アマゾンからアイ・チューンズ、タワーレコードからほとんどのレコード、映画が消える。
不祥事に対して、日本という国は「臭いものにフタ」が一番だと思っているフシがある。
大麻を吸っても不倫をしても、とにかく「消えてもらう」。出演作もCMもポスターも、テレビから店頭からラジオから、消し去る。
僕は洋画や洋楽が好きだから、ドラッグで身を滅ぼした海外の俳優やミュージシャンをたくさん知っている。ガールフレンドを殺したり、自殺したり、殺されたり、ろくなもんじゃない。死なないまでも、その転落ぶりや目を覆いたくなる俳優やミュージシャンは数え切れない。
しかしだからといってそのミュージシャンのアルバムを発売中止にした、その俳優の出演した映画やテレビ番組を放送自粛する、なんて話は聞いたことがない。
不倫したから、大麻を持っていたから、なんてツマラン理由で発売しなくなったら、それこそ「ふざけんな!」と逆に怒りの声が上がるだろう。
よく聞くのはむしろ逆で、元バンドメイトがドラッグで身を持ち崩した元メンバーをライブにゲストで呼んだとか、そいつの治療費を集める為のパーティを開いてあげたとか、「救う」方向の話だ。「隠す」のではなく、むしろ皆に紹介する。社会に戻そうとする。ドラッグに手を染めた人間を「臭いもの」だと思っていないので、フタをするなどという感覚がない。大体、そんなことしたって逆効果なのを欧米人は知っている。
酒井法子の元旦那が再逮捕されたが、逮捕&離婚後、彼は底辺のさらに下の地面のホコリのような人間になっていた。所持金もほとんどなく、クズ以下のクズになっていた。
それで結局、危険ドラッグの売人という「職」を得て、また手を染めてしまった。
清原もそうだ。あれだけの花形選手も、奥さんと子供に会えないと白痴になる。少年野球のフェンス裏で立小便するほど自分を失う。
「孤独(感)」が、人の弱さをむき出しにさせる。
僕は大麻や薬物を肯定したい訳ではない。ただ、職を奪ったり、社会から放逐することでその人物が更正することなどない、と言いたいのだ。
「村八分」など、周りの人間が「見世物」として楽しんだり、自分の優位を確認したりする為の材料にするくらいのものでしかないのである。
それが目的で日本人は「臭いものにフタ」をしたり「村八分」にしたりするのだとしたら、そんな国はクソである。
仲間外れ、シカト、陰口、キレイゴト、建前、無意味なルール、暗黙の了解、同調圧力、制裁措置、空気、空気、空気。。。

人の転落を高みの見物してカタルシスを得る、そんな歪んだ心の持ち主たちが、今日も獲物を狙って徘徊している。
なんて思いたくないのだ。

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2016.12.22 | | 時事問題

憲法改正について。

憲法改正についてのNHKの世論調査を見た。
「賛成」が32%、「反対」が30%で、賛成が上回っていた。
施行から69年間、「護憲派」と呼ばれる文化人や法律家、政治家らによってあたかも門外不出の秘宝か何かのように守られ、崇め奉られてきた日本国憲法。
改正の方向でリアルに風が吹き始めたのは、おそらく制定以来始めてのことではなかろうか。

前々から言っているとおり個人的には憲法改正には賛成だし、改正ではなく破棄してゼロベースで創り直すべきだと思っている。
理由は簡単だ。
今の憲法は時代に合っていないからである。
「憲法改正」というとすぐ「9条を変えたいんだろ!」「戦争したいんだろ!」という話になって、結局、反戦平和か翼賛か?という矮小化した、しかもパッショネイトな空しい議論になりがちである。(これは改憲派に対する護憲派のアレルギーによるところが大きい)
戦争なんかしたいわけがない。
いま改憲を叫んでいる人の大半も僕と同じように「反戦平和」なはずである。
安倍首相も、安倍首相を信奉をしている人もみんな、「戦争なんか御免だね」「そんなことよりポケGOしてたい」と思っているだろう。
日本人の多くが、現行憲法の言うとおり、「恒久の平和を念願」している。
しかし習近平やプーチンはどうか知らない。金正恩は多分違うだろう。
にもかかわらず前文で「平和を愛する諸国民公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した
と詠っているのは明らかに「???」だ。
戦争反対でも、ここは違うだろうと。勝手に決意すんなwwww
ついでに言うと日本語としてもおかしい。
「公正と信義信頼して」なんて日本語は変である。気持ち悪い。
「公正と信義信頼して」ならわかるけど。
法律用語は一般人の言語感覚とはかけ離れているところが多々あるが(補修を修補と言ったり、善意・悪意は「知っていた」「知らなかった」という意味で使ったり)・・・でも、国民はギョーカイ人じゃないから「ギロッポン」みたいなノリでヘンテコな日本語を憲法のなかに使うべきではない。仮に国語学的にこの言い回しが「アリ」だとしても、一般人レベルの「てにをは」からは完全に逸脱している(もしくは使われていない)。
細かいようだが、憲法とは国の背骨になる法律であるから、子供から大人まで、誰でも違和感なく、すっと飲み込める「普通の日本語」で書かれるべきだと僕は思う。

また、ほぼ改正出来ない憲法だったから、「プライバシー権」や「知る権利」といった「新しい人権(権利)」の問題が出るたびに規定の明文の「解釈」を広げたり類推適用することで最高裁は大汗かいて時勢の波をかわしてきた。
そんな苦労するくらいなら変えればいいのである。
法律とは時代に合わせて変えていくものなのに、それを「9条守れ」のヒトコトでカビが生えるまま、サビがつくままにさせられているのが日本国憲法の実情だ。
本丸である9条を触られたくないがために、とんでもない城壁をそびえさせて、どんな小さな改修工事も検査も畳の表替えさえ拒んでいるのが「日本国憲法」という城。
その城の城主は本来は国民であるはずだが、この国では一部の大新聞や日弁連とかいう人たちが占領して、ほとんど「私有化」していると言っても過言ではない。
この方たち、普段はリベラルぶっているが、こと憲法となると石原慎太郎も顔負けのド保守に変わる。
触るな、語るな、疑うな!
と言うわけだ。
こういうエセ「リベラリスト」、エセ「人権派」のせいで新しい人権や権利が権利として認められないなんて、まさに本末転倒である。
個人的には、9条なんかどうでもいいから、まずこの馬鹿げた「城壁」をぶっ壊したほうがいいと思っている。
時代を無視して70年、80年、100年、ずーっと崇め奉るなんて馬鹿げている。
家に喩えてもいい。
どんなに老朽化しても雨漏りがして地盤がグラグラになっても絶対にリフォーム禁止(もしくは条件が厳し過ぎてほぼ不可能)の家、と言われても「ありがたい」と思えるだろうか?「ビフォーアフター」に依頼のハガキも出せない家だよ。
しかも自分が建てたのならまだしも、70年前にアメリカ人がやってきて勝手に作っていった家だ。
その家をずっと使うことを余儀なくされているのが僕たち日本人である。
もちろん、僕だって憲法の全部を否定する訳じゃない。
素晴らしい面もたくさんある。
ハッキリ言ってよく出来ている。
でも、だからといって国際情勢がどうかわろうと、中国が東南アジアに覇権を拡大させようとチベットで虐殺を続けようとISが暴れ狂っていようとアフリカで女性の人権が蹂躙されていようと難民が出ようと「何も変えません」「変えられません」では、それこそ「いづれの国も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・この法則に従うことは・・・各国の責務であると信ずる」という前文の趣旨に反する。
つまり、漫然と憲法を変えずにいること自体が、憲法違反なのである。

戦争が出来る憲法になるかならないか、だけで考えるものではない。

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2016.11.16 | | 時事問題

麻薬と文化と日本人

女優の高樹沙耶が逮捕された。医療利用の大麻の合法化を唱え続けていたことは週刊誌等で読んで随分前から知っていた。
僕の印象では彼女は大麻草をハーブを愛する人のように植物として惚れ込んでおり、随分勉強もしているように見えた。もちろん何がしかの利用(医療としてでも嗜好としてでも)をしたことがなければ大麻の魅力など分かる訳がないのだから、同棲していた男性のうちの誰かにでも教えてもらって、関心を持つようになったのだろう。
同じ芸能人の薬物事件でも、ただの現実逃避や快楽目的ではない(らしい)点で酒井法子や飛鳥とは異なる。彼女には彼女の言い分が山とあるだろうし、逆にこれを機に日本における大麻規制の現実を訴えることが出来るかもしれない。
大衆が耳を澄ましてくれるのは、栄光の時と、石を投げる時だけである。

ところで海外に目を向けると大麻の所持が合法の国が結構ある。
調べると、スペインにいたっては個人レベルでの大麻の使用は合法らしいし、医療用目的の大麻の栽培・使用は多くの先進国で合法もしくは非犯罪とされている。
翻って日本では一般人の大麻の栽培は医療用であろうと何だろうとほぼ不可能と言っていい。一応免許制になっているそうなのだが、免許の申請をしたところで大麻の使用はわが国では「神事等に限る」としているので医療目的でも栽培できない。
日本では古来から大麻草の繊維を「しめ縄」や、お払いの時にシャカシャカ振る、あのハタキみたいなもの(ズバリ「大麻」(おおぬさ)という名前らしい)に使ってきたそうな。
崇高な国である。
・・・まあ、「医療目的」というけれど、その言葉からして曖昧ではある。麻酔に使うのだろうけど、スペインみたいにゆるい国だったら「精神安定の為よ」って言えばそれも「医療目的」に含まれそうな気もするし。

日本人は麻薬によいイメージを持っていない。日本では有名人の麻薬所持・使用は不倫より暴力より差別発言より罪が重い。キャリアが白紙に戻る訳ではないが、ノリピーのように、人によってはそこまで落ちる人も少なくない。欧米では考えられないことだ。それだけ日本人は麻薬にアレルギーがあるということなのだろう。
僕だって大麻など吸ったことがない。大麻を吸ったことがあるという人には会ったことがあるが、見たこともニオイさえ嗅いだことがない。
だから「限りなく透明に近いブルー」みたいな小説を読んでもまったくピンとこなかった。もっとも、あれは大麻ではなく覚せい剤だったと思うが、乱交だ吸引だ注射だと作者の筆が踊れば踊るほどこっちはシラケてしまう。同じ意味でアメリカのビートニクの作家たちも苦手である。
映画もそう。
「イージーライダー」とか「トレインスポッティング」とか「時計仕掛けのオレンジ」とか「パルプフィクション」とか、ドラッグカルチャーを前提にしたような映画は感銘を受けても本当の部分では理解できていないと思う。いや、論理的に「理解」は出来ても「共感」はしていないと思うのだ。出来ない。
ロックもしかり。
ドアーズもストーンズもビートルズもボブ・ディランもヴェルヴェッツもストゥージズもバウハウスもモトリークルーも、ドラッグから生まれたようなアルバムや楽曲がたくさんある。「サイケデリック・ロック」なんてジャンルがあるくらいだからロックは麻薬の力で進化を遂げてきたといっても過言ではない。
良い悪いではなく、事実として「ドラッグ」はサブカルチャーとは切っても切れないものになっている。

かといってこの国でヨーロッパのように大麻の規制を緩めたりしたら、大変なことになるだろう。
もともとそういう免疫も文化もないところにそんな文化を蔓延させたら、いつかの中国みたいに国の死を招きそうである。
欧米人は歴史的にドラッグとの付き合いかたを知っている。嗜む程度に楽しむ方法も限度も心得ている。大麻がファッションになりうる素地がある。
日本人は開国以来さまざまな欧米の文化を取り入れてきた。時には行き過ぎてどこかの志賀直哉みたいに「公用語をフランス語にしよう」とか言い出すことさえあった。
白人に憲法も作らせたしロックンロールもマクドナルドもコカコーラもコッペパンもミニスカートもフリーセックスも自虐史観も気持ちよく受け入れ、国中に染み渡らせた。
でもドラッグは流行らなかった。
海外旅行に行ったらみんな吸ってるのかも知れないが、少なくとも「限りなく透明に近いブルー」のような作品がパイオニアにすらならずにポツンと戦後文芸史の一隅に「新鮮な小説」以上の評価もなく捨て置かれていること自体が、ドラッグ(もしくはドラッグ的なもの)がこの国では好意的に受け取られないことを示している。
逮捕された有名人の出演していたテレビ番組を全部放送禁止にしたり葬ったりするところも、日本人の麻薬アレルギーを如実にあらわしている。(個人的には馬鹿げていると思う)

この季節、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くと、キバの生えた長い爪の女子高生や、交通事故にあったばかりのようなOLさんたちが破れかけのスカートを夜風にはためかせて闊歩している。あるいはゾンビから逃げ回ってキャーキャーわめいている。
あの光景はカルチャーショックだった。日本人もここまでオープンに、享楽的になれるのかと女子たちの生足・・・いやホラーメイクを見て感心したものだ!
ドラッグなどなくても楽しめるのなら、ドラッグなど不要である。
幸い、僕らはドラッグがなければ楽しめないという情緒不安定な民族でもない。
戦争中、 アメリカ兵は、神風アタックしてくる日本兵はみな麻薬を打たれているのだと信じていた。自分の命を投げうって敵艦に突っ込んでくるなんて狂気の沙汰にしか思えなかったからだ。
しかしそれはセラピストがいなければ恋愛も離婚も出来ない、幼い精神性の国の人の発想だった。
日本人はそんな脆弱(ヤワ)じゃなかった。

大麻を悦楽の為だけでなく、「清め」の道具としても使ってきた国である。
注射など使わなくても国や故郷のために「自分」を捨てることが出来た。

無駄に長い話でした。m(__)m あ~あ・・・。

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2016.10.25 | | 時事問題

オトナの時代

「運転中ポケGO 初の死亡事故」
との見出しから、てっきり「ポケGO」に夢中になっていたドライバーが死亡したのかと思ったら、はねられた女性(72)が亡くなった。一緒に歩いていた別の女性も重態という。車を運転していた男は運転しながらポケGOを操作していたことを認めているという。
死ぬべき人間が生きて、死ななくていい人が死んでいる。あべこべだ。
「ポケモンGO」のユーザーの多くはオトナである。この運転手も39歳だった。
小中学生はスマホを持っていない子も多いからかと思っていたのだが、そればかりでもないらしい・・・。
奥さんの姉の子供(僕にとっては義理の甥っこ)は、物心がついたときからポケモン、寝ても覚めてもポケモン、ブームが去っても、6年生になってもポケモン、とにかくポケモン大好きっ子だった。
月日が経つのはあっという間、その甥っ子も中学二年になった。
声も太くなり、口の上にはうっすらとヒゲらしきものが見えるようになった。
それでも教育熱心な両親の方針で、自分のスマホを持たせてもらっていない。
「ポケモンGO」が解禁された時、真っ先に僕の頭をよぎったのがこの甥っ子のことだった。「アイツはスマホを持っていないからさぞツライだろう」と。
その甥っ子にお盆に会った。
ポケGOのない夏休みをどう乗り切っているか単刀直入に訊いてみたら、意外な言葉が返ってきた。
「キョーミない」
全身全霊をかけてポケモンに夢中になっていた甥っ子、既存の遊び方では飽き足らず、しまいには自分でポケモンを使ったゲームを考案(それも何個も)していた甥っ子の、「キョーミない」発言。
「お前ポケモン命だったじゃねーか」と言ったら
「あー・・・。トモダチのあいだで、昔むっちゃ好きだったものとか言い合うときにたまに出てくるくらい」
「じゃあ『ポケGO』の画面もまだ見てないんだ?」
「いや、オヤジが俺とコミュニケーションとるためにインストールしてやってるから、それで見てる」
「・・・・・・」
スマホを持っていない劣等感からひねくれて言っているのか、本当にポケモンに何も感じなくなったのかは定かではないが、子供という生き物の冷酷さを垣間見た気がした。
翌日、スマホを持っている高1の姪っ子にも「ポケGO」をやってるか訊いたら
「は?そんなんやらん」
と簡潔なお答え。。完全にアウト・オブ・ガンチュー(死語)である。
彼女はそんなものより「SNOW」で自撮り画像を加工して遊ぶことのほうが楽しいらしい。
大人がはしゃいでいるのを見れば見るほど冷めるのが子供。
父親がぎこちない指使いでモンスターボールを投げているのを、甥っ子も、その妹さえも無感動に、遠巻きに眺めているだけだったあの夜の光景は、血の繋がりのない自分の目にも、痛々しく映った。子供たちからしたら「ハイハイ」ってなもんなのだろう。

現代は、紛れもなく「オトナ中心」の時代である。
少子化の影響もあるだろうが、サブカルチャーにおいて子供を中心に据えたコンテンツがどんどん少なくなってきている。玩具にせよ漫画・アニメにせよゲームソフトにせよアトラクションにせよ「オトナも楽しめるかどうか」が、成功の条件になっている感すらある。
かつては「ビックリマン」や「カードダス」のように、オジサン・オバサンには到底理解できない、子供や若者たちの間だけで楽しむべきコンテンツが沢山あった。子供たちにしかその凄さが分からない驚天動地のニュースがあったり(ゲームの裏技など)、燃えている子供たちを尻目に「面白いか?これ~?」と冷や水をぶっ掛けて子供たちのブーイングを全部受け止める太っ腹な大人がいた。(渡辺徹)
「ポケGO」に乗らない甥や姪を見ていたら、その冷静さを賢明と思うより、なんだか少し悲しいような、寂しいような、そんな気がした。

だったらガーデニングやろうよ☆

と言っても、振り向かないだろうな~。。
若いもんは、まったく。

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2016.08.24 | | トラックバック(0) | 時事問題

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プロフィール

祐平

Author:祐平
築30年の借家でホームオフィスをしながら理想の庭づくり、理想のインテリアを探求する日々の記録。
「一般教養としてのロック史」管理人。興味のある方は覗いてみてください。ネットショップも地味に
コメ欄クローズ中ですので、現在お声はメールでお願いしております。
⇒ mail@brightside82.com

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